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千葉地方裁判所 昭和61年(ワ)468号 判決

原告

片岡一博

吉岡一

篠塚康則

山下幸

重見敏夫

綾部光男

永田雅章

白井敏行

内山等

右九名訴訟代理人弁護士

葉山岳夫

菅野泰

清井礼司

内藤隆

山崎恵

竹之内明

市川昇

一瀬敬一郎

大口昭彦

土田五十二

広瀬理夫

鈴木俊美

原告

川口春雄

椿勇

髙橋邦彦

田中康宏

川崎昌浩

(旧姓・新藤)山田雄一

加藤正人

梅沢利男

後藤俊哉

櫻澤明美

森内猛

右一一名訴訟代理人弁護士

葉山岳夫

菅野泰

清井礼司

内藤隆

山崎恵

竹之内明

市川昇

一瀬敬一郎

大口昭彦

被告

日本国有鉄道清算事業団

右代表者理事長

石月昭二

右訴訟代理人弁護士

西迪雄

鵜澤秀行

右訴訟復代理人弁護士

富田美栄子

右代理人

室伏仁

杉山信利

矢野邦彦

神原敬治

中野順夫

主文

原告川口春雄、同椿勇、同川崎昌浩、同加藤正人、同梅沢利男、同後藤俊哉及び同森内猛が被告に対して雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

被告は、それぞれ、別表一(略)の「番号」欄各号の「原告」欄に掲げる原告に対し、当該各号の「未払賃金額」欄に掲げる金員の支払をせよ。

原告片岡一博、同吉岡一、同篠塚康則、同山下幸、同重見敏夫、同綾部光男、同永田雅章、同白井敏行、同内山等、同髙橋邦彦、同田中康宏、同山田雄一及び同櫻澤明美の各請求をいずれも棄却する。

原告川口春雄、同椿勇、同川崎昌浩、同加藤正人、同梅沢利男、同後藤俊哉及び同森内猛の平成三年一一月から毎月二〇日に別表二の右各原告の「請求賃金額」欄に掲げる金員の支払を求める訴え部分をいずれも却下する。

訴訟費用は、原告川口春雄、同椿勇、同川崎昌浩、同加藤正人、同梅沢利男、同後藤俊哉及び同森内猛と被告との間に生じたものはこれを一〇分してその一を原告川口春雄、同椿勇、同川崎昌浩、同加藤正人、同梅沢利男、同後藤俊哉及び同森内猛の各負担とし、その余を被告の負担とし、原告片岡一博、同吉岡一、同篠塚康則、同山下幸、同重見敏夫、同綾部光男、同永田雅章、同白井敏行、同内山等、同髙橋邦彦、同田中康宏、同山田雄一及び同櫻澤明美と被告との間に生じたものは原告片岡一博、同吉岡一、同篠塚康則、同山下幸、同重見敏夫、同綾部光男、同永田雅章、同白井敏行、同内山等、同髙橋邦彦、同田中康宏、同山田雄一及び同櫻澤明美の各負担とする。

この判決は、第二項の各金員の三分の一に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告らが被告に対して雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

2  被告は、別表二の「番号」欄各号の「原告」欄に掲げる原告に対し、それぞれ昭和六一年二月から毎月二〇日に、当該各号の「請求賃金額」欄に掲げる金員の支払をせよ。

3  2について仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告らは、それぞれ、別表二(略)の「番号」欄各号の「原告」欄の当該各号に掲げる原告の「就職年月日」欄の当該各号に掲げる年月日に日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)に雇用され、その千葉鉄道管理局(以下「千葉局」という。)の同表の「番号」欄各号の「原告」欄の当該各号に掲げる原告の「職種」欄の当該各号に掲げる職種で「所属職場」欄の当該各号に掲げる職場に勤務する職員であって、号俸並びに昭和六一年二月当時及びそれ以降に受領すべき基準内賃金(請求賃金額)は、同表の「番号」欄各号の「原告」欄の当該各号に掲げる原告の「号俸」欄及び「請求賃金額」欄の当該各号に掲げるとおりであり、賃金の支払日は、毎月二〇日である。

2  被告は、昭和六二年四月一日、日本国有鉄道改革法一五条、同法附則二項、日本国有鉄道清算事業団法附則二条により国鉄から移行した法人であるところ、国鉄ないし被告は、国鉄が昭和六一年二月六日に原告らを解雇したと主張し、原告らが国鉄ないし被告に対して雇用契約上の権利を有する地位にあることを争い、同月以降原告らに対して賃金を支払わない。

よって、原告らは、被告に対し、それぞれ雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めるとともに、昭和六一年二月以降の毎月に別表二の「番号」欄各号の「原告」欄の当該各号に掲げる原告の「請求賃金額」欄の当該各号に掲げる賃金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1のうち、原告らが昭和六一年二月六日まで国鉄の千葉局の原告ら主張の職種でその主張の職場に勤務する職員であったこと、原告らの号俸がその主張のとおりであったこと及び国鉄の職員に対する賃金の支払日が毎月二〇日であることは認めるが、その余は争う。

2  請求の原因2は認める。

三  抗弁

原告らの所属する国鉄千葉動力車労働組合(以下「動労千葉」という。)は、国鉄の分割・民営化阻止等を目的として、昭和六〇年一一月二八日、二九日の両日にわたり公共企業体等労働関係法(以下「公労法」という。)一七条に違反して争議行為(以下「本件争議行為」又は「本件ストライキ」という。)を実施し、原告らは、動労千葉の本部又は支部役員として右争議行為に参画し、これを指導、実施させ、ないしは自らこれに参加して所定勤務の就労を拒否するなどして国鉄の業務の正常な運営を阻害したので、同六一年二月六日付けをもって同法一八条により解雇されたものである。その詳細を述べると、次のとおりである。

1  本件争議行為の背景

(一) 動労千葉は、昭和五四年三月三〇日、運動方針についての意見が対立したことから、国鉄動力車労働組合(以下「動労」という。)を脱退した組合員らによって結成された労働組合であって、その結成当初から、三里塚反対同盟と連帯して成田空港開港阻止闘争、ジェット燃料輸送増送阻止闘争など政治的色彩の強い闘争を繰り返し実施してきたものである。

(二)ところで、国鉄の状況についてであるが、その経営する鉄道事業が破たんにひんしたため、同年ごろからその事業の再建が国家的レベルにおいて検討され、同五七年ごろには臨時行政調査会による三次にわたる答申を踏まえ、国鉄労使に対し、要員の適正化、各法の遵守及び職場規律の確立等の緊急措置が要請されるとともに、同五八年、国鉄の事業の効率的な経営形態の確立のための方針等を検討することを任務とする国鉄再建監理委員会(以下「再建監理委員会」という。)が設立され、同委員会において二年余の審議が重ねられた結果、同六〇年七月二六日、内閣総理大臣に対し、「国鉄改革に関する意見」(以下「最終答申」という。)が提出された。その内容は、〈1〉同六二年四月一日をもって国鉄の事業を六旅客鉄道会社及び一鉄道貨物会社(以下「新事業体」と総称する。)に分割して民営化し、鉄道事業を経営しなくなった国鉄は清算法人に改組すること、〈2〉新企業体の発足時における要員規模を約一八万三〇〇〇人とし、最終答申時の国鉄の要因が約二七万六〇〇〇人であることから生ずる約九万三〇〇〇人の余剰人員については、一部を旅客鉄道会社に負担させるとともに、早急な雇用の確保が図られるように万全を期すること、〈3〉国鉄の長期債務の処理などを主要な柱とするものであった。最終答申については、国鉄の経営する事業の再建の推進に関する臨時措置法(同五八年法律第五〇号)六条により内閣総理大臣はこれを尊重しなければならないこととされており、政府は、同六〇年七月三〇日に「最終答申を最大限尊重」する旨の閣議決定を行うかたわら、「国鉄改革に関する関係閣僚会議」を設置し、運輸省に「国鉄改革推進本部」を置き、さらに、同年八月七日には「国鉄余剰人員雇用対策本部」の設置を閣議決定するなどして、最終答申の実現をその重要課題とし、国民の理解と協力をも得てその速やかな実現に取り組んでいた。

(三)国鉄自身も、改革が必須の課題であるとの認識の下に、かねてより臨時行政調査会の答申に基づく緊急措置の要請に応え、要員合理化を図り、退職制度を見直し、派遣制度の新設等余剰人員対策を実施し、同時に、職場規律の確立に意を用いて経営改善に努力を傾注してきたところであって、最終答申が提示された後には、政府の方針に沿ってその実現に向けて、さらに業務及び要員の合理化等の施策が講じられることになった。

2  本件争議行為の経緯と態様

(一)ところが、動労千葉は、再建監理委員会による最終答申が提示されるや、直ちに、これを「国鉄労働運動解体攻撃」であるとして反対を表明し、「反動・中曽根打倒こそ勝利のカギ」であるから、「『国鉄』と『三里塚』を基軸に全労働者の怒りを結集し、総反撃に撃って出よう!」とのメイン・スローガンを掲げ、昭和六〇年九月九日から同月一一日まで開催した第一〇回定期大会(以下、これを「第一〇回定期大会」という。)において、国鉄分割・民営化阻止などを中心として、ストライキを含む第一波闘争を同年一一月下旬に設定した。そして、同年一〇月三日に開催した第一回支部代表者会議において、組織体制の強化を訴えるとともに、同月三〇日の三里塚現地集会が第一波を闘う動労千葉にとってあらゆる意味で決定的闘いであるとし、同集会へ四度目の五割動員を実現すること等を決定した。さらに、同月三一日に開催された拡大支部代表者会議において、第一波ストライキ貫徹に向けた諸行動、組織体制の強化等について意思統一を図るとともに、一一・一七全国鉄労働者総決起集会など、その後のスケジュールについて確認し、同年一一月一三日に開催された第七回執行委員会において、右ストライキ等争議戦術の大綱について確認・決定した。

(二)動労千葉は、同月一七日に東京日比谷音楽堂で開催された全国鉄労働者総決起集会(以下、これを「全国鉄労働者総決起集会」という。)において、動労千葉は全国の労働者、農民、学生とともに不退転の決意を込めて同月末のストライキに決起し、分割・民営化粉砕、中曾根内閣打倒を実現する闘いに決起するなどのスト宣言をし、全国の労働者による動労千葉の支援、防衛が確認されたとして、同月二九日に総武線緩行・快速を軸とするストライキを実施することを確認し、同月二一日に開催された第三回支部代表者会議において、戦術の基本として、〈1〉同月二九日始発以降における総武線千葉以西の全列車を対象とする二四時間ストライキの実施、〈2〉情勢によっては、ストライキ突入時間の繰上げ、ストライキ対象区の拡大があること等を決定するとともに、同月二八日以降全支部、全組合員による突入体制を確立した。

(三)動労千葉執行委員長は、同月二五日、各支部長に対し、指令第七号を発し、ストライキ実施の準備体制の確立を指示した。そして、動労千葉は、同月二七日、第九回執行委員会を開催して、ストライキの実施を繰り上げて同月二八日正午から二四時間のストライキに突入することを決定し、動労千葉執行委員長は、同日、各支部長に対し、指令第八号を発し、〈1〉各支部は同日一二時以降千葉以西に乗り入れる全旅客列車の乗務員を対象とする指名ストに突入する、〈2〉各支部は同日一二時から闘争集約時までの間ストライキ対象外の全組合員による非協力・安全確認行動を実施することなどを指示した。

(四)その結果、違法な争議行為が翌二九日正午まで継続されたが、その間に誘発された同時多発ゲリラと相まって、旅客列車八六三本、貨物列車六〇本の運休のほか、多数の列車遅延がじゃっ起されるに至ったのである。

3  原告らの本件争議行為における関与

(一)原告片岡一博、同吉岡一及び同篠塚康則の関与

原告片岡一博(以下「原告片岡」という。)は第一〇回定期大会において再任されて動労千葉本部(以下、単に「本部」という。)執行委員会(企画部長)の、原告吉岡一(以下「原告吉岡」という。)は同定期大会に至るまでは本部特別執行委員、それ以降は本部執行委員(同年一〇月三一日以降は、教宣部長)の、原告篠塚康則(以下「原告篠塚」という。)は本部特別執行委員(総務担当)の各地位にあり、いずれも動労千葉の中にあって指導的立場にあったものである。すなわち、本部執行委員は、執行委員会等の組合機関に出席して議決権を行使する権限を付与されており、また本部特別執行委員は、議決権こそ有しないものの右組合機関に出席し発言する権限を付与されており、いずれも同定期大会並びに前記執行委員会、拡大支部代表者会議及び支部代表者会議等に出席し、本件争議行為を計画し、指導し、実施させた責任者である。

(1)ことに、原告片岡は、本部執行委員(企画部長)として、本件争議行為において次のような関与をした。

〈1〉同年一一月二七日夕方、本件争議行為の拠点の一つである国鉄千葉局津田沼電車区(以下、単に「津田沼電車区」という。)に赴き、動労千葉津田沼支部(以下、単に「津田沼支部」という。)委員長の原告山下幸(以下「原告山下」という。)以下の同支部執行委員らとともに、翌二八日以降のストライキ対象者に対し、ストライキ突入に際しての指示、オルグを開始した。

〈2〉同月二八日午前一一時五五分ごろから同電車区構内組合事務所前において開催されたストライキ突入集会に参加した。

〈3〉同日午後一時一五分ごろから同電車区指導員室において、原告山下、同綾部光男(以下「原告綾部」という。)、同田中康宏(以下「原告田中」という。)らとともに、江澤助役に対し、指導員を乗務させたことについて抗議し、暴言を浴びせるなどし、区長の退去命令にもかかわらず、同日午後一時五七分まで同室に止まって抗議を続けた。

〈4〉同日午後三時ごろ、ストライキ参加のために乗務を拒否することを通告にきた組合員(二名)に同行していた。

〈5〉同日午後四時三五分ごろから同組合事務所内において集会を開催し、原告田中とともに先頭に立って「ストライキで闘うぞ」等のシュプレヒコールを行い、構外においてシュプレヒコール等を続ける支援団体とエールの交換を行い、さらにその代表者と握手するなどし、その後右組合事務所前付近においてジグザグデモを行った。

〈6〉同月二九日午後一一時二〇分ごろから三八分ごろにかけて、同電車区点呼場において、同電車区長に対し、予備勤務者の就業意思の確認について抗議をした。

(2)原告吉岡は、本件争議行為当時、本部執行委員(教宣部長)として、組合員の教育に当たるとともに、動労千葉の機関紙である「日刊動労千葉」の編集発行の責任者として、同機関紙を通じて組合員に対して本件争議行為の実施を訴える等情宣活動の中心として本件争議行為に関与した。

(3) 原告篠塚は、本件争議行為当日は、本部において、各支部との連絡に当たった。

(二)原告山下、同重見敏夫及び同綾部の関与

原告山下は、動労千葉代議員、津田沼支部支部長の、原告重見敏夫(以下「原告重見」という。)は同支部副支部長の、原告綾部は同支部書記長の各地位にあり、いずれも動労千葉の中にあって指導的立場にあった者の一人である。すなわち、第一〇回定期大会において、原告山下は、「国鉄『分割・民営化』阻止、実力決起する決議」を提案し、原告重見は「階級的警戒心をもって組織破壊を許さぬ闘いを一丸となって闘おう。」と、原告綾部は「『六一・一一』にむけ断固たるストに決起していかねばならない。」とそれぞれその決意を述べ、さらに、右原告らは、同年一〇月一五日に開催された同支部の定期大会において「支部が火の玉となって一一月ストへ総決起する方針を決定」し、地域集会を開催し、また原告山下は、全国鉄労働者総決起集会において、同支部を代表して意見表明する等し、右原告らは、本件争議行為に至る経過の中において、これを積極的に支持して指導的役割を果たすかたわら、本件争議行為時には、ストライキ拠点となった同支部において、拠点支部執行部三役として、後記支部執行委員であった原告らとともに、同支部におけるストライキの取組全般にわたって企画、指導し、推進した。のみならず、原告山下は、自ら所定勤務の就労を拒否した。

(三)原告永田雅章、同白井敏行及び同内山等の関与

原告永田雅章(以下「原告永田」という。)は動労千葉千葉運転区支部長の、原告白井敏行(以下「原告白井」という。)は同支部(以下「千葉運転区支部」という。)副支部長の、原告内山等(以下「原告内山」という。)は動労千葉代議員、同支部書記長の各地位にあり、いずれも動労千葉の中にあって指導的立場にあった者であって、同年一〇月一九日に開催された同支部定期大会において、同支部は、「一一月ストを軸とする第一波闘争を断固として打ち抜き、反動中曾根内閣打倒にむけ、一丸となって闘う」との方針を満場一致で決定し、原告永田は、「鉄路を武器に、権力、右翼、革マルの反動を打ち破り、団結力を出しきって闘おう」とその決意を述べた。また原告永田は、前記全国鉄労働者総決起集会において、同支部を代表して意見表明を行った。さらに同支部は地域集会を開催するなどしたが、右原告らは、本件争議行為に至る経過の中において、これを積極的に支持して指導的役割を果たすかたわら、本件争議行為時には、ストライキ拠点となった同支部において、拠点支部執行部三役として、後記の同支部執行委員であった原告らとともに、同支部におけるストライキの取組全般にわたって企画、指導推進した。のみならず、原告白井及び同内山は、自ら所定勤務の就労を拒否した。なお、原告白井の欠務について付言すると、原告白井の同年一一月二八日の所定勤務は「B予備」(午前七時から午後二時一六分まで)であったが、同日午後〇時から動労千葉の違法なストライキによるダイヤの混乱が予想されたので、これに対処し、列車の正常な運行を確保するため、担当助役が同日午前一一時三〇分ごろに原告白井に対して「臨一仕業」(これによってその乗務列車が特定されたことはいうまでもない。)を指示したが、原告白井は、それを拒否したものである。

(四)原告川口春雄、同椿勇及び髙橋邦彦の関与

原告川口春雄(以下「原告川口」という。)、同椿勇(以下「原告椿」という。)及び同髙橋邦彦(以下「原告髙橋」という。)は、いずれも津田沼支部執行委員として、同支部の中にあって指導的立場にあった。同支部は、前記のとおり同支部定期大会において同支部が火の玉となって一一月ストライキへ総決起する方針を決定し、「栄光ある津田沼こそ全支部の牽引車となろう」と全体で確認し、満場一致で方針を採択した。さらに、右原告らは、前記全国鉄労働者総決起集会への参加、同月二一日の船橋・津田沼地域集会の開催など、本件争議行為に向けての諸行動の中でこれを積極的に支持し、その拠点支部役員として同支部の取組全般にわたって企画・推進し、一般組合員を指導して本件ストライキを実施させた。

また、原告川口は、本件争議行為に参加して同月二八日一五時一八分から二三時〇九分までの勤務への就労を拒否し(欠務時間・七時間五一分)、原告椿は、本件争議行為に参加して同月二八日一五時二二分から翌二九日一〇時四二分までの勤務への就労を拒否し(欠務時間・一四時間五六分)、原告髙橋は、本件争議行為に参加して同月二八日一四時一五分から二二時三六分までの勤務への就労を拒否した(欠務時間・八時間二一分)。

(五)原告田中康宏の関与

原告田中康宏(以下「原告田中」という。)は、第一〇回定期大会に至るまで本件争議行為に対して先鋭的であった本部青年部長兼本部特別執行委員の地位にあって動労千葉の中にあって指導的立場にあった者の一人であり、また、同年一〇月一五日以降は津田沼支部執行委員の地位にあって本件争議行為の拠点支部の一つとなった同支部の指導的立場にあった者の一人である。同支部は、支部大会において、「栄光ある津田沼こそ全支部の牽引車となろう」と確認し、満場一致で同支部が火の玉となって一一月ストライキに総決起する方針を決定したが、原告田中は、一般組合員を指導して本件ストライキを実施させたのみならず、自らも同年一一月二八日午後一時過ぎごろ前記指導員室において江澤助役を他の組合員数名とともに取り囲み、旅客列車に指導員を乗務させて運行したことに対し大声を上げて執拗に抗議をするなどして、これを積極的に支援・推進した。

(六)原告川崎昌浩の関与

原告川崎昌浩(以下「原告川崎」という。)は、前記津田沼支部大会に至るまで同支部執行委員の地位にあり、また、同支部大会において同支部青年部長に選任された以後は同支部特別執行委員を兼ね、同支部の中にあって、特に本件争議行為を最先頭で闘ったストライキ拠点支部青年部長として指導的立場にあった者である。そして、原告川崎は、全国鉄労働者総決起集会において、「一一月二九日のストライキを絶対に守り抜くという立場から最先頭で闘う。」などとその決意を述べ、また、同月二八日午前一一時五五分ごろ、同支部組合事務所付近で開催されたストライキ突入集会において、本部派遣役員水野正美(以下「水野」という。)に次いで集会開始のあいさつをするなどして本件争議行為を積極的に支持し、推進した。

(七)原告山田雄一の関与

原告山田雄一(以下「原告山田」という。)は、昭和六〇年九月一日以降、本部特別執行委員兼青年部長の地位にあり、動労千葉の中にあって指導的立場にあった者である。すなわち、本部特別執行委員の権限は前記のとおりであり、また、本部青年部長は、本部青年部の最高責任者であるところ、本部青年部は、青年部組合員の組合活動を推進する組織であって、本件争議行為を最先頭において闘ったものである。実際、原告山田は、本部青年部長就任のあいさつに際し、青年部は最先頭でストライキ貫徹へ闘い抜く旨を、全国鉄労働者総決起集会において、「青年部はこの二箇月ストライキを全青年部・全組合に訴え闘い抜いてきた。このストライキは青年部が先頭に立って闘うストライキである。」などとその決意を述べ、本件争議行為に至る経過の中で、これを積極的に支持し、また本件争議行為当日である同年一一月二八日及び翌二九日は、拠点の一つである国鉄千葉局千葉運転区(以下、単に「千葉運転区」という。)に赴き、シュプレヒコールや当局に対する抗議行動に参加し、先鋭的な青年部の長として、指導的役割を果たした。

(八)原告加藤正人、同梅沢利男及び同後藤俊哉の関与

原告加藤正人(以下「原告加藤」という。)、同梅沢利男(以下「原告梅沢」という。)及び同後藤俊哉(以下「原告後藤」という。)は、いずれも昭和六〇年一〇月一九日に開催された千葉運転区支部大会において同支部執行委員に選任(原告加藤及び同梅沢は、再任)されてその地位にあり、本件争議行為の拠点支部の一つとなった同支部の中にあって指導的立場にあった者である。右支部大会において同支部は動労千葉の最先頭で一一月ストライキに決起して闘う方針を満場一致で決定したが、右原告らは、そのような方針に従い、同年一一月一三日の幕張・千葉地域集会の開催、全国鉄労働者総決起集会への参加などの諸行動をとり、本件争議行為を積極的に支持し、その拠点支部執行委員として同支部の取組全般にわたって企画・指導し、推進した。

また、原告加藤は、本件争議行為に参加して同月二八日七時〇〇分から一四時一六分までの勤務への就労を拒否し(ただし、欠務時間は、一一時三九分から一四時一六分までの二時間三七分である。)、原告梅沢は、本件争議行為に参加して同月二八日一四時二〇分から翌二九日一〇時四九分までの勤務への就労を拒否し(欠務時間・一六時間三三分)、原告後藤は、本件争議行為に参加して同月二八日一七時一一分から翌二九日一〇時五六分までの勤務への就労を拒否した(欠務時間・一三時間一三分)。

(九)原告櫻澤明美の関与

原告櫻澤明美(以下「原告櫻澤という。)は、第一〇回定期大会までは本部交渉委員として本部特別執行委員であった者であり、動労千葉の中にあって指導的立場にあった者の一人であり、本件争議行為の企画立案に参画したばかりでなく、同年一一月二八日午前一一時四二分ごろ、千葉運転区において国鉄の職制が動労千葉組合員小沢天任に対して臨時仕業が生じたからこれに乗務するように命じた際、右職制に対し、その理由が本件争議行為に伴うものであることが明らかであるのに臨時仕業発生の理由は何かなどと執拗に抗議したほか、同日午後一〇時ごろ、国鉄の職制から千葉運転区運転管理室からの退去命令を受けたにもかかわらず、これに抗議して従わないなどして、一般組合員を指導して本件争議行為を積極的に支持、推進した。

(一〇)原告森内猛の関与

原告森内猛(以下「原告森内」という。)は、第一〇回定期大会に至るまでは本部交渉委員として本部特別執行委員の地位に、同年一〇月一一日以降は同日開催の動労千葉成田支部(以下、単に「成田支部」という。)定期大会において同支部長に選任され、その地位にあった者であり、動労千葉の中にあって指導的立場であった。右支部大会において、同支部は一一月末を第一波とする数次のストライキに全員が火の玉となって立ち上がることを満場一致で決定し、原告森内は「新執行部は一一月ストライキを全力で闘います。みんなも執行部についてきて欲しい。私は体の続く限り最先頭で闘う決意です。」などと述べ、また、支部員とともに全国鉄労働者総決起集会に参加し、壇上からストライキ実施を訴え、同月二四日には成田地区の地域集会を開催し、同月二一日の第三回支部代表者会議に出席するなどして、本件争議行為に至る経過の中でこれを積極的に支持し、同支部長就任以降は同支部に関するものの、それのみにとどまらず、同支部長就任の前後を通じて本件争議行為の全般にわたって指導的役割を果たした。

4  原告らの解雇

以上のとおり、原告らは、動労千葉の本部役員もしくは支部役員として、公労法一七条に違反して、本件争議行為を計画し、これを指導、実施させるなどして、国鉄の業務の正常な運営を著しく阻害したので、国鉄は、原告らに対し、昭和六一年二月六日付けで同法一八条により解雇する旨の通知をした。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁冒頭の事実及び主張のうち、原告らの所属する動労千葉が国鉄の分割・民営化阻止等を目的として本件争議行為を実施したこと、原告らが本件争議行為に関与したとして国鉄から同六一年二月六日付けで公労法一八条による解雇の通知を受けたことは認めるが、その余は争う。

2  (一)抗弁1(一)のうち、動労千葉が昭和五四年三月三〇日に動労から分離・独立して結成された労働組合であることは認めるが、その余は争う。

(二)同1(二)のうち、再建監理委員会が最終答申を提出したこと、その内容が同六二年四月一日をもって国鉄の事業を六旅客鉄道会社及び一鉄道貨物会社に分割して民営化し、新事業体の発足時における要員規模を約一八万三〇〇〇人とし、約九万三〇〇〇人の余剰人員については、一部を旅客鉄道会社に負担させることなどであったことは認めるが、その余は争う。

国鉄は、そもそも軍需兵たん輸送と産業振興の国策から国営鉄道として運営されていたものであり、独立採算制の導入により、公法人となったものである。しかし、国鉄となってからも、全国的な輸送網の展開による地域振興と文化的生活における地域間格差の解消は、平和憲法下における国の国民に対する義務である。他方、国鉄改革主張の基本をなす巨額の累積赤字はいずれも「政治路線」といわれる線路の鉄建公団からの買入れに伴う長期負債の利子負担と、赤字路線の採算割れした経常赤字によって占められている。しかし、国鉄の使命を前記のように考えれば、第一に、収支の取れない路線は国の当該地域住民に対する義務的なサービスなのであるから、鉄建公団が造り、それを国鉄に買い取らせるという構造がそもそもおかしいのであって、道路網と同じく国が国の費用で造り、国鉄に無償ないしは収支に見合った条件で貸与すべきものであり、国は、新線開発に伴い利益を受けたものからしかるべき手段で利益を国に吸収させるべきであり、第二に、サービスであれば本来収支・採算は関係のないことである。それでもなお、独立採算制ゆえに赤字を主張するならば、国鉄の使命としてではなく、選挙の利益誘導と関係者の利権獲得のために収支バランス抜きに無理矢理赤字路線を買い取らせた政治家の責任を追及すべきであるし、それを拒否できなかった国鉄の体質を自己批判しなければならないはずである。しかしは(ママ)そのいずれもやらずに国鉄労働者のみに犠牲を強い、結局は安全確実な輸送業務の提供を放棄しようとしたのである。

国鉄分割・民営化論には建前上大手私鉄がモデルとして前提とされているが、分割・民営化論では大手私鉄の経営構造にはならない。大手私鉄は、輸送展開と流通(デパート・スーパー等)・レジャー産業(ホテル・遊園地・プロスポーツ・旅行代理業等)・デベロッパーとをいずれもリンクして輸送業務への投資や支出を他で大きく吸収する構造となっているが、国鉄の場合にはそのようなことが法律で制限されてきたためにノウハウを蓄積しておらず、しかも、諸分野とリンクして巨大な開発利益を可能としている保有地を「赤字解消」を理由に放出しようとしているからである。結局国鉄分割・民営化によってもたらされるのは、大量首切り合理化による国鉄労働者の犠牲、採算性を理由とした安全性の放棄、赤字ローカル線の廃止・縮小による地域間格差の拡大、そして放出保有地をめぐる巨額な利権確保だけである。

全国的な鉄道輸送網は、諸外国の例を見ても歴史的には国家事業として展開されざるを得ないのであり、国は近い将来分割・民営化されボロボロになった企業を高額の負担で買わざるを得ないのであり、その間に利益を得るのは保有地を確保できたものと格安に株式を取得したものだけである。このような事態が明白である国鉄分割・民営化論が国家的要請のはずはないし、それは単に利権確保の展開の上で動いている財界・政治家の要請に過ぎない。

結局、「国家的要請」「国策」として推進している国鉄分割・民営化の真の狙いは、世上いわれているとおり、戦後労働運動、なかんずく官公労労働運動・総評の中で主軸を占めてきた国鉄労働運動を「戦後の総決算」として解体しようとするものにほかならない。すなわち、第一に、新会社と事業団への職員の振り分け=差別・選別は、労働組合の活動家を新会社から徹底的に排除するものであり、第二に、差別・選別の中で、雇用安定協約・労使共同宣言、真国労結成に象徴される労使一体となった国労・動労千葉潰しの進行であり、第三に、広域配転・業務移管に伴う組合拠点における玉突きとしての組合勢力範囲の塗り替えであり、千葉では動労千葉に敵対する動労本部を大量に送り込んできた。そして、国の労働政策として、かつての鉄労、今日の動労本部に象徴される産業報国会的労働組合を育成・助成しようとしているのである。動労本部は、組合員の犠牲の上に、御用組合よろしく国鉄の大量首切り合理化策に協力し、鉄労と手を結び、遂には組合綱領から階級性を抜くところまで到達しているが、このような労働運動で国鉄や総評の運動を埋め尽くそうとするのである。これが「国家的要請」の内実である。

(三)同1(三)は趣旨において争う。

3  (一)抗弁2(一)のうち、動労千葉が昭和六〇年九月九日から同月一一日まで開催した第一〇回定期大会において、国鉄分割・民営化による一〇万人首切り合理化阻止などを中心として、ストライキを含む第一波闘争を同年一一月下旬に設定したこと、第一回支部代表者会議を開催したこと、同年一〇月三一日に拡大支部代表者会議を開催したこと、第七回執行委員会を開催し、右ストライキ等争議戦術の大綱を決定したことは認めるが、その余は争う。

(二)同2(二)のうち、同年一一月一七日に東京日比谷音楽堂において全国鉄労働者総決起集会が開催され、そこで動労千葉がスト宣言を発したこと、動労千葉が第三回支部代表者会議を開催したことは認めるが、その余は争う。

(三)同2(三)の事実は認める。

(四)同2(四)のうち、動労千葉が同月二八日正午から翌二九日正午まで千葉以西の線区を対象とした乗務員の指名ストライキを実施したこと、同日に同時多発ゲリラ活動があったことは認めるが、一部列車の運行が不能になったことは不知、その余は否認する。

動労千葉は、一一・二九国電ゲリラ事件とは何らかのかかわりもなく、ゲリラ事件を実行した組織・集団からの事前・事後の連絡もなく、また連絡を受ける立場にもなかった。本件争議行為を支援するとして実行されたゲリラ事件であっても、動労千葉にとってはそのような事態は予想していなかったものであり、また抑止し得る立場にもないのであるから、第三者の行為をもって本件争議行為の違法性を評価することは決定的に誤っている。

4  (一)(1)抗弁3(一)冒頭の事実のうち、原告片岡が本件争議行為当時本部執行委員の、原告吉岡が本部特別執行委員、本件争議行為当時本部特別執行委員(教宣担当)の、原告篠塚が本件争議行為当時本部特別執行委員の各地位にあったこと、本部特別執行委員が組合機関に出席し発言する権限を付与されているが、議決権を有しないこと、右原告らがいずれも第一〇回定期大会、執行委員会及び拡大支部代表者会議に出席したこと、原告片岡及び吉岡が支部代表者会議に出席したことは認めるが、原告篠塚が支部代表者会議に出席したことは否認し、その余の主張は争う。

特別執行委員は、被告主張のとおり組合機関に出席し、発言することはできる。しかし、機関の構成員ではなく(動労千葉組合規約(以下、単に「組合規約」という。)五九条)、また同規約二三条一項の役員でもないから大会の構成員でもなく、その議決権もない。およそ議決権を有しない者が当該議決事項に関して個人として議決責任を問われることなどあり得ないし、また、執行権を有しない者が当該事項の指導権を有することなどということもあり得ない。この意味で、本部執行委員と本部特別執行委員は、争議行為の決定と指導という法的評価においては決定的な差異がある。自ら議決し、執行し得る者がそのような立場において闘争への決意を語る場合と、議決され、執行される行為について志だけは議決し執行する者と一にしてその闘争への参加の決意を語る場合とは、その法的評価はおのずから異なるものである。そして本件争議行為が本部執行委員によって構成される本部執行委員会の指導の下に実施されたことは、動労千葉指令第七号及び第八号により明らかである。

(2)同3(一)(1)のうち、原告片岡が同月二八、二九日の本件争議行為当日に本部からストライキ拠点であった津田沼支部に派遣されていたことは認めるが、その余は争う。

(3)同3(一)(2)のうち、原告吉岡が本件争議行為当時本部執行委員(教宣担当)であり、動労千葉の機関紙である「日刊動労千葉」の編集長兼編集委員であったことは認めるが、本件争議行為において指導的な行為を行ったことは否認する。

(3)同3(一)(3)の事実は否認する。

(二)同3(二)のうち、本件争議行為当時、原告山下が動労千葉代議員、津田沼支部長の、原告重見が同支部副支部長の、原告綾部が同支部書記長の各地位にあったこと、右原告らがいずれも第一〇回定期大会及び拡大支部代表者会議に出席したこと、原告山下が支部代表者会議に出席し、津田沼支部定期大会、支部集会、地域集会を開催したこと、原告山下が所定勤務の就労を拒否をしたことは認めるが、原告重見及び同綾部が支部代表者会議に出席したこと、原告重見及び同綾部が支部定期大会、支部集会、地域集会を開催したこと、原告山下、同重見及び同綾部が本件争議行為時にストライキ拠点支部執行部三役として同支部におけるストライキの取組全般にわたって企画、指導し、推進したことは否認し、その余は争う。闘争時における支部の権限は、後記のとおり本部派遣によって停止され、闘争指導権はすべて本部派遣執行委員(本件争議行為時では、本部執行副委員長水野)に掌握されるものであって、支部三役といえどもすべて派遣執行委員の指令・指示下に動くしかないのである。

なお、被告は、本件ストライキの実施を決議した第一〇回定期大会への出席を解雇理由の一つとしているが、同大会に出席し、同議題に賛成したことと、本件ストライキを企画し、実施し、指導したこととは全く別の問題である。また、支部代表者会議は、組合規約で定められた会議ではない。組合規約に規定のない会議でストライキの決定や実施が議決されることはない。支部代表者会議は、組合本部の方針の伝達と確認のための会議に過ぎない。

(三)同3(三)のうち、本件争議行為当時、原告永田が千葉運転区支部長の、原告白井が同支部支部長の、原告内山が動労千葉代議員、同支部書記長の各地位にあったこと、右原告らが同支部定期大会に出席したこと、原告永田が地域集会を同支部代表者として開催したこと、原告内山が所定勤務の就労を拒否したことは認めるが、原告白井及び同内山が同支部定期大会、地域集会を開催したこと、原告永田、同白井及び同内山が本件争議行為時にストライキ拠点支部執行部三役として同支部におけるストライキの取組全般にわたって企画、指導し、推進したことは否認し、その余は争う。闘争時における支部の権限は、後記のとおり本部派遣によって停止され、闘争指導権はすべて本部派遣執行委員(本件争議行為時では、本部執行副委員長山口敏雄(以下「山口」という。)に掌握されるものであって、支部三役といえどもすべて派遣執行委員の指令・指示下に動くしかないのである。

(四)同3(四)のうち、本件争議行為当時、原告川口、同椿及び同髙橋がいずれも津田沼支部執行委員であったこと、右原告らがそれぞれ所定勤務の就労を拒否したことは認めるが、その余は否認する。

支部の単なる執行委員が本部役員から直接指導を受けたり、それと方針の討議を行うような機関は、組合規約上も、また実際上も存在せず、支部執行委員は支部長を介して本部(役員)と間接的に関係を持つのみである。

(五)同3(五)のうち、原告田中が第一〇回定期大会まで本部特別執行委員兼青年部長の、同年一〇月一五日からは津田沼支部執行員(ママ)の各地位にあったこと、同年一一月二八日午後一時ごろ指導員詰所付近において担当助役に対して水野及び原告片岡とともに指導員の勤務体制に関する話合いに立ち会ったことは認めるが、その余は否認する。

(六)同3(六)のうち、原告川崎が津田沼支部第一〇回定期大会において同支部青年部長に選任され、以後津田沼支部特別執行委員兼青年部長として本件ストライキ当時もその地位にあったこと、全国鉄労働者総決起集会において発言したことは認めるが、同月二八日午前一一時五五分ごろ、同支部組合事務所付近で開催されたストライキ突入集会において、本部派遣役員の水野に次いで集会開始のあいさつをしたこと、本件争議行為を推進したは(ママ)否認し、その余は争う。被告は、原告川崎が同月二八日午前一一時五五分ごろ同支部組合事務所付近で開催されたストライキ突入集会において、水野に次いで集会の挨拶をするなどした旨主張するが、これは原告川崎と顔つきのよく似た本部青年部書記長(当時)杉本某と誤認されたものであって、原告川崎は、右のような行為を行ってはいない。

(七)同3(七)のうち、原告山田が本件ストライキ当時本部特別執行委員兼青年部長であったこと、全国鉄労働者総決起集会において「スト貫徹の決意」の発言をしたこと、同月二八日のストライキ決起集会でシュプレヒコールをしたことは認めるが、その余は否認する。

組合規約一八条において定められた青年部設置規則一条によって「青年部は、規約によって定められたすべての条項の適用を受ける。」とされていて、その目的・任務の遂行に当たっては、「組合規約に基づく範囲内の活動である」との制約が付されており、あくまでも、青年部の任務の遂行に当たっては組合大会、委員会、執行委員会等の組合機関において決定された方針に基づくものでなければならないことが定められている。なお、本部青年部長は、同設置規則四条によって「大会で承認され特別執行委員とな」るが、特別執行委員の権限については、前述したとおりである。

(八)同3(八)のうち、本件争議行為当時、原告加藤、同梅沢及び同後藤がいずれも千葉運転区支部執行委員の地位にあったこと、原告梅沢及び同後藤が同月二八、二九日の所定勤務の就労を拒否したこと、原告加藤が当局側の臨時仕業の業務指示に応じなかったことは認めるが、その余は争う。

(九)同3(九)のうち、原告櫻澤が、第一〇回定期大会までは、本部交渉委員として本部特別執行委員であったこと、同月二八日予備勤務の取扱いについて管理者に対し質問、申入れ等の行動をとったこと、同日午後一〇時ごろ国鉄当局から退去すべき旨の指示を受けたことは認めるが、その余は争う。右質問、申入れ等の行動は、本件争議行為と関係のないものであって「抗議」ではなく、その態様も「執拗」ではなかった。

(一〇)同3(一〇)のうち、原告森内が第一〇回定期大会までは本部交渉委員として本部特別執行委員の地位に、同年一〇月一一日開催の成田支部大会において成田支部支部長に選任され、本件ストライキ当時もその地位にあったこと、同年一一月二一日の支部代表者会議に出席したことは認めるが、その余は争う。

5  抗弁4のうち、国鉄が原告らに対して昭和六一年二月六日付けで公労法一八条により解雇する旨の通知をしたことは認めるが、その余は争う。

五  再抗弁

1  公労法の一七、一八条の違憲無効

争議行為を一律全面的に禁止する公労法一七条及びこれを受けた同法一八条は、公務員・公社職員に対しても争議権を保障する憲法二八条に違反して無効である。

2  本件争議行為に対する公労法一七条の適用除外

仮に公労法一七、一八条が違憲でないとしても、本件争議行為に対して公労法一七条の適用は排除されるべきである。

第一に、争議行為の制限は、合理性の認められる必要最低限であること、職務・業務の性質が公共性の強いものであって、その停廃が国民の生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすものについてこれを避けるため必要やむを得ない場合においてのみであること、制限に見合う代償措置が講じられていること、という条件を充足して初めてなし得るものであって、本件争議行為ではこれらの条件を欠いている。

第二に、被告の強調するところによれば、国鉄の民営化は国鉄が自らその実現を意欲してそのいうところの「国策」にまでなっていたが、これを労使関係法の観点から見れば、国鉄は争議権の制限規定である公労法の適用除外を自ら積極的に求めていたことにもなるのであり、そのような争議権の制約のない「民間会社への移行過程にある国鉄」については、公労法の適用基盤がもはや崩壊していたものと考えるべきであるからである。

第三に、本件争議行為当時の国鉄をめぐる情勢下では、少なくとも国鉄については公労法(一七条)をその法理のとおりに適用することができないものであるか、同法の適用根拠が空洞化していて、法規範性を希薄化させつつあったものであり、どんなにわい小化して考えてみても当該法規の適用の除外が予定ないし予測されるという事実がその具体的適用の消極的要素となることは明らかであろう。そして、違法な行為が適法な行為となること、しかも前記のとおり適法行為への転化を国鉄自身が意欲していた等の事情を考慮すれば、刑事訴訟法三三七条二号の免訴判決の趣旨が制裁規定である公労法一八条の適用をめぐる本件争議行為についても十分に参酌される余地があるというべきである。そのことは、次期協約のための争議行為と現協約による相対的平和義務の関連からも補足し得るところである。すなわち、集団的労働関係では労働協約に有効期間の定めがあるときは次期協約の内容について現協約の失効前から労使交渉により協約の中断に至らないようにするのが通常のあり方であるところ、その交渉の歩み寄りがなく争議行為が発生したとしても、それは次期協約のための争議行為として相対的平和義務に違反するものではない。このことを国鉄分割・民営化にスライドさせると、分割・民営化後の雇用問題について公労法の規制がはずれ労働組合法の適用下になってから、回復された争議権を背景に交渉したのでは、それまでに雇用・整理解雇は決まってしまうのであるから遅過ぎることになる、という問題となる。ここでは分割・民営化のための雇用=整理解雇をめぐる争議については次期協約のための争議行為に相対的平和義務が及ばないのと同じく、公労法の規制は及ばない、と考えるべきことになる。

3  本件争議行為に対する公労法一八条適用の違憲無効

仮にそうでないとしても、争議権がはく奪されている公労法ではとりわけ代償措置が講じられていること、及び違反に対する効果が最小限であることが要求され、これらの条件が満たされない処分は、その限りにおいて違憲、無効であるといわなければならない。ところが、「団体交渉の慣行と手続きとを確立する」(同法一条一項)ことが立法趣旨とされているにもかかわらず、本件争議行為の前段階において、国鉄当局は団体交渉を拒否し、雇用安定協約の締結を拒否しており、その点で講じられるべき代償措置が現実には全く機能していなかったのである。

4  解雇権濫用

仮にそうでないとしても、本件争議行為をめぐる前記の諸事情を考慮すれば、公労法一八条の解雇基準はより一層厳格に定立されるべきであり、同条による解雇は抑制的、制限的なものでなければならない。被告は、それとは正反対に、「解雇基準の緩和」を主張するが、国鉄の民営化が「不可避」(ただし、被告の主張の趣旨による。)であった本件争議行為及び処分当時の情勢において、いずれ合法となる行為について従来の例をはるかに逸脱して異常な解雇基準をあえて創設(一時は「全員解雇」まで示唆した。)し、その適用を強行したことには一片の正当性も合理性も認められない。したがって、国鉄の原告らに対する各解雇処分は、いずれも裁量権を濫用したものであって無効である。国鉄の右の裁量権の濫用の詳細を述べると次のとおりである。

(一)本件争議行為の目的

(1)国鉄分割・民営化の反労働者的性格

国鉄は昭和六二年四月一日に民営化された上で旅客鉄道会社六社と貨物鉄道会社一社に分割されたが、右分割・民営化の過程で七〇〇〇人に近い多数の国鉄労働者が右の分割された「新会社」に「採用」されないという形で実質的に解雇された(形式的には国鉄の法人格を承継したとされる被告に所属させられたが、平成二年四月一日にはそのうち動労千葉の組合員一二名を含む一〇四七名が被告からも解雇された(その余の国鉄労働者は右の三年間の中で被告から退職を余儀なくされた。)。)。本件争議行為は、国鉄の赤字解消策や経営形態にかかわる分割・民営化それ自体に反対するものでなく、昭和六〇年一一月当時既に予想し得た右のような分割・民営化の反労働者的性格すなわち分割・民営化が大量の国鉄労働者のし意的な解雇を必至とするものであること、それ故の雇用安定協約の片仕切り、国労・動労千葉及び全動労に対する締結拒否を直視し、これに反対して協約の締結を求めて実施されたものである。

(2)雇用安定協約の片仕切り

雇用安定協約は、国鉄労働者にとってみれば、日本国有鉄道法二九条四号に対する雇用保証の安全弁であった。行政整理の当時定員法の適用に当たっては公労法の適用が排除されたが、その後の同法による争議権・団体交渉権の制限はこの雇用=身分保証が大前提となっていた。国鉄当局は、本件争議行為当時のころ、この雇用安定契約継続については、動労・鉄労・全施労とは締結し、国労・全動労・動労千葉とは締結を拒否するという片仕切りを実施していた。前者は再建監理委員会答申推進の労働組合(当初は鉄労が、その後は動労が主導)であり、後者は一〇万人にも及ぶ大量首切り合理化を意味する右答申に反対の労働組合であった。国鉄当局は、昭和六〇年七月に再建監理委員会から答申されただけでいまだ国鉄改革関連法の法案作成作業も完了していないこの段階から、国鉄分割・民営化方針を既定の国策、したがって国鉄当局の方針策定にかかわる当事者能力を建前上は否認しつつ、これを先取りする形で国鉄分割・民営化の施策を答申に沿って、というよりもこれを金科玉条のものとして振りかざして、国鉄内部の反対意見を押しつぶそうとしたものであり、雇用安定協約の片仕切り自体が組合間差別として重大な不当労動行為であった。そして、雇用安定協約の締結を得た組合は、未締結の組合の組合員に対し、「新会社へのパスポート」として組織切り崩しのために協約締結を振りかざすことになった。このように雇用安定協約の片仕切りとは、労働組合が他の労働組合所属の労働者に対して雇用不安の恐怖心をあおり立て、醸成させることによって、国鉄分割・民営化に向かって国鉄労働者を一列に並べさせ、並ばなかったもの、遅れてその列の後に並んだものを「不良品」としてばっさりと人員整理の対象にしようという荒っぽい労務政策・分断統治の方策であった。ここでは既に人員整理にとって個々の労働者の資質や勤勉さが問題ではなく、所属組合いかんが焦点と化してしまっていたのである。

国鉄分割・民営化方針は、動労千葉にとってみれば、国鉄事業の経営形態・経営組織上の問題ではなく、個別的労働条件の前提となる雇用の問題であった。再建監理委員会答申は、三人に一人の首切り合理化、原告ら所属の動労千葉の組合員らの属する運転職場では二人に一人が首切り合理化の対象となるものであった。このような答申が出された中での雇用安定協約の片仕切りである。しかも、動労千葉に対する締結拒否は、当局が雇用安定協約締結の条件とした「三本柱」=派遣・休職・退職に関する協約の締結に応じたにもかかわらず、右「三本柱」に対する組合としての協力度が低いことを理由とするものであった。動労千葉が当局の要求に応じた三本柱は、しかし、当局がその必要に応じて組合員個人に派遣・休職・退職を求め、組合としてはこれに口を出さずに各組合員の意思によらせる、としたもので、組合員の労働条件や雇用を守るべき立場にある労働組合が当局になり替わって組合員に組合の統制力をもって配転・休職・退職に従わせるという性質のものではないことは、当局も十二分に承知していたものである。しかも、現実的には国鉄内にあってビルド局としてあった千葉局にとっては、多数の過員を抱える他局に政策的に足並みを揃えることを除いては、具体的に配転・休職・退職の必要性は生じていなかったものであって、「三本柱」に対して動労千葉が協力的であったか否かなどは問題となるべき筋合にはなかったのである。

したがって、当局の雇用安定協約の締結拒否は、国鉄分割・民営化方針に協力し、大量人員整理に労働組合として積極的に関与せよ、と迫るところにその目的があった、というべきである。

(3)国鉄の安全性確保の悪化等

国鉄が民営化されることによって、国民の共有財産である国鉄資産の処分をめぐる利権確保が展開され、以上の結果として、世界に冠たる国鉄の安全・確実な輸送の運転保安が著しく悪化することを意味することも、動労千葉が本件争議行為の実施を決定するに際して考慮されたことはいうまでもない。

(二)本件争議行為に至るまでの経緯

(1)動労千葉第一〇回定期大会の決定

再建監理委員会の最終答申は、国鉄がそれまでに「五七・一一ダイヤ改正」「五九・二ダイヤ改正」「六〇・三ダイヤ改正」等で進めてきた一〇万人に上る要員合理化の上に、前述したようにさらに要員合理化を進めるものであった。そこで、動労千葉は、昭和六〇年九月九日から同月一一日にかけて開催された第一〇回定期大会において、前述した目的、すなわち、国鉄分割・民営化による一〇万人首切り合理化阻止・雇用安定協約完全締結、運転保安確立を中心に、ストライキを含む第一波闘争を同年一一月下旬に設定して闘う。第一波闘争の具体的実施方針の画定(戦術の細部)については、本部執行委員会に一任する(もっとも、基本方針決定後に具体的実施方針の画定が組合の本部に一任させることは通常であり、例外―本部の下部機関がこれを委任されること―はほとんどあり得ないし少なくとも動労千葉では全く前例がない。)旨を決定した。

(2)九・一一処分

国鉄本社は、同年九月一一日、現場を抱える地方局を頭越しにして、国鉄史上初めてワッペン闘争に対する大量処分を発した。戒告・訓戒・厳重注意処分は、全国で五万九二〇〇人、千葉局内で一七〇〇人であった。

(3)六一・三ダイヤ改正

千葉局は、同月一二日、六一・三ダイヤ改正の一環となる京葉線暫定開業の提案において、従来は検修係がしてきた仕業をも乗務員に担務させる、という兼務兼掌化を打ち出し、乗務員に対して職種外の労働を加重しようとした。

また、六一・三ダイヤ改正に際し、国鉄は、千葉局が管掌していた総武・中央緩行、総武快速、成田線(成田~我孫子)の業務を大幅に東京三局に移管し、千葉局における乗務員の要員を削減しようとした。これは、乗務員の半数を占める動労千葉組合員を「余剰人員」として運転業務からはずし、助勤・出向の形で職場から排除し、もって職場における動労千葉の影響力を減少させ、かつ、動労千葉に暴力的に敵対し分割・民営化に協力している動労本部を千葉に導入しようとしたものである。

(4)雇用安定協約の締結拒否

前述したように、国鉄は、同年一〇月初め、動労千葉・国労・全動労に対し、「三本柱」(五九・七・一〇「余剰人員の調整策について」=「余剰人員」に対して出向・一時帰休・退職を強要する内容)に対する「協力度」を口実に雇用安定協約の締結を拒否する態度に出た。

動労千葉は、右の事態について、国鉄に対し、「申第七号」で「最低今まで通りの内容で六〇年一二月一日以降三年間」の完全締結を要求したが、国鉄は、それに全く応じようとしなかった。

(5)国鉄の大量不当処分

国鉄は、同年一〇月五日、動労千葉が実施した「六〇・三ダイ改阻止闘争」に対して停職一名を含む二九名に上る大量不当処分をかけてきた。

(6)国鉄の一〇・九プランの提案

国鉄は、同月九日、「今後の要員体制のあり方について」なるプランを提案してきた。

右プランは、六一・三、六一・一一ダイヤ改正を通して、同六一年一〇月末までに系統別・エリア別に合理化を進め、要員数を一六万七二〇〇人+管理者にしようというものであり、再建監理委員会の最終答申を上回る合理化案であった。運転系統においては、現行七万人が四万一九〇〇人まで削減され、運転基地については一線区一基地化が進められ、運転基地の大幅な統廃合がなされることになっていた。右の結果、千葉局では、検修関係で一五四名の要員合理化がなされ、併せて前記業務移管によって乗務員については七四名の要員削減が実施されることになった。

(7)職場規律問題

千葉局は、動力車乗務員を通勤対策要員(尻押し)として助勤させていたが、動力車乗務員に対しては名札・ネクタイ着用などの服務規定は適用されていないにもかかわらず、動労千葉の通対助勤者に対し、名札着用の強要、選別差し替え、警告書の乱発を行い、同年一一月七日、動労千葉の通対助勤者四三名全員に対し、訓告処分を通告してきた。

また、千葉局は、同月一一日から一四日の間、乗務員に運転席のカーテンを上げさせるために、全乗務員に対する「カーテン調査」を実施した。運転席のカーテンは、列車の安全確保のための「遮光幕」であり、乗務員が前方注視・確認に専念するためのものである。したがって、カーテンを上げるか否かは列車運行に全責任を持たされている当該乗務員の判断することであって、当局が強制できることではない。

これらの「職場規律」問題は、いずれも動力車乗務員の職種の性格や運転保安を無視した、清算法人旧国鉄に残すための選別を目的としたクレーム付けにほかならない。

(8)職種希望調査

国鉄は、分割・民営化に向け、同月一一日、全職員を対象にして、職種希望調査を実施したが、現場において白紙回答や分割・民営化に反対する旨の記載を行った者に対し、「旧国鉄に残すぞ」とどうかつをかけるに至った。

(9)「五段階評価」

千葉局は、乗務員の差別・選別と組合員間の対立を生じさせることを目的として、動労千葉組合員である乗務指導員に対し、乗務員の「五段階評価」などの労務管理をさせようとした。指導員の職分は、乗務員に対する技術指導であって、労務管理のための職制ではない。

(10)国鉄の団交拒否

動労千葉は、千葉局に対し、前記大会以降の以上の経過などについて申第一号から第一〇号までの申入書をもって団体交渉による整理・解決を求めたが、千葉局は、「動力車乗務員に通対助勤をさせることは、労働条件の変更ではない。」「運転保安に関する事項は労働条件と関係ない。」「動乗勤協約の解釈は、労働条件と関係ない。」などと管理運営事項を不当に拡大解釈し、従来の団交ルールをほごにして、「団交事項ではありません。」「譲歩する気はありません。」の二文句で団体交渉を終了させるなど、団体交渉を否定し、形がい化させた。

(三)動労千葉の本件争議行為実施の指令

(1)動労千葉指令第七号の発出

以上の事態を踏まえ、動労千葉は、同月二五日、組合員に対し、指令第七号で、

〈1〉闘争目標を、国鉄分割・民営化による一〇万人首切り合理化反対、一〇・九プラン徹回、雇用安定協約完全締結、運転保安確立・検修合理化阻止・国鉄を「第二の日航」にするな、団交否定・形がい化と不当差別・選別の強権的労務政策糾弾、不当処分徹回に設定し、

〈2〉戦術の基本を、同月二九日始発時から、総武線千葉以西の全列車(ただし、貨物列車を除く。)を対象とする二四時間とし、構内・庁舎からの組合員の強制排除・官憲の介入、スト破り行為があった場合にはスト突入時間の繰り上げ、スト対象線区拡大(千葉駅に乗り入れる全列車)をもって対応することとし、

〈3〉関係支部は、右戦術に基づいて、準備体制を確立することとする

スト準備指令を発出した。

(2)動労千葉の千葉局に対する申入れ

動労千葉は、指令第七号によるストライキ方針を背景として、同日、千葉局に対し、(証拠略)をもって、右闘争目標に係わる事項について申入れをし、団体交渉による解決を求めた。

(3)当局の対応―団交拒否・スト破り

右申第一一号による団交要求に対して、千葉局は、団交を拒否したばかりでなく、ストライキ計画に対し、

〈1〉公労法の判例・解釈を無視して、スト参加者は当然全員解雇される趣旨の文書を各職場に掲示した上、動労千葉の全組合員宅に書留郵便を発送し、

〈2〉業務命令により、千葉局の国労の指導員、予備乗務員及び東京西鉄道管理局の乗務員まで動員し、

〈3〉予備乗務員の勤務指定を国労組合員に集中させ、

〈4〉公安官・職制を全国から千葉に結集させる

などのスト破り行為に出てきた。

(4)動労千葉指令第八号の発出

動労千葉は、右の当局の対応を踏まえて、同月二七日、第九回執行委員会を開催し、翌二八日正午以降、千葉以西に乗り入れる全旅客列車の乗務員を対象とする指名ストに突入することを決定し、直ちにこれを指令第八号として組合員に発出し、その旨当局に通告し、報道関係者に知らせた。

(四)本件争議行為の実施

(1)動労千葉の本件争議行為に臨む体制

ア 動労千葉の組織の規模と組織の性格

前述した動労千葉の動労からの総体としての分離・独立という特質から、動労千葉の組織形態(したがって、これに伴う意思決定、連絡体制なども)は、動労千葉地方本部(以下「動労千葉地本」という。)のそれを維持し、今日に至っている。支部の組織形態も動労千葉地本当時と同様である。つまり、組織形態という外形に限ってみると、動労千葉に動労本部を結合させれば、(旧)動労千葉地本と同じ形態になるのであって、ここにおいては動労千葉地本当時と動労千葉とで格段の「意思決定・連絡等の実態に差異がある」とはいえない。のみならず、国労や動労においては中央本部―地方本部という系列のほか、中央本部―各地方評議会(動労千葉地本は、関東地方評議会に所属)―各地方本部などの組織系列が存在し、この意味では大規模な全国的集団は小規模な地域的集団と異なり、その規模に見合ってより密接な意思決定、連絡体制を有しているものともいえる。

イ 本部指導の意義と性格

動労千葉は、小規模の組織であり、本部指令、本部指導が中間機関を経由せずとも容易に伝達し得る組織である。しかも、本件ストライキは、大会における基本的方針の決定、本部執行委員会における戦術決定、その指令の伝達という経路で容易に伝達、指導できるのであって、支部による独自の指導という要素が極めて薄い。

ウ 本部派遣執行委員の権能

(ア)動労千葉は、第九回執行委員会で、ストライキの指導体制として各本部執行委員に次のとおり任務を分掌させた。

〈1〉ストライキ拠点に派遣する本部執行委員

津田沼支部 執行副委員長 水野

執行委員 原告片岡

(右両名のうち、責任者は、水野)

千葉運転区支部

執行副委員長 山口

執行委員 西森巌

(右両名のうち、責任者は、山口)

〈2〉本部残留執行委員

執行委員長 中野洋(以下「中野」という。)

書記長 布施宇一

(イ)右の本部派遣執行委員と本部残留執行委員の具体的な任務分掌は次のとおりである。

〈1〉ストライキ突入及び集約と、国鉄当局との交渉についての判断権・指令権は本部残留執行委員にある。ただし、本部残留執行委員は、この責任を執行委員会に対して負う。

〈2〉本部派遣執行委員(責任者)は、本部指令に基づいて現地指導の一切の権限を有する。当日の異常な弾圧体制に鑑み緊急の場合は独自に判断し処理することとなるが、その場合には速やかに本部残留執行委員に報告する。なお、その際の指導責任は、本部執行委員(責任者)が執行委員会に対して負う。

(ウ)支部には支部執行委員会などの執行・指導機関があるが、元来これらの機関は、大会や委員会及びそれらの決議に基づいて指令権を有する本部執行委員会という上級機関の指導に服する義務がある上(組合規約一九条、二二条、二八条)、特にストライキという非常事態では高度の組織的統率力の発揮と機関中心主義の尊重が求められる関係上、支部以下レベルの独自の執行・指導権限は凍結され、すべて本部執行委員会(又は闘争委員会―本件の場合は本部執行委員会)の直接指導下に置かれ、この本部執行委員会(これを代表する執行委員長)から派遣された執行委員が全権限を掌握することとなる。

(2)本件争議行為の規模・態様

ア 本件ストライキの継続時間

本件ストライキは、同月二八日正午から翌二九日正午まで実施されたが、運行に対する影響との関係では、実質は同月二八日半日のストライキであった。翌二九日始発からの運休は、同日に発生したいわゆる「国電ゲリラ」によるもので、動労千葉が同日半日のストライキを中止して組合員たる乗務員が労働を提供しても、国鉄の側で乗務労働を受領できない状態にあった。

動労千葉がそれにもかかわらずストライキそのものを中止しなかったのは、国鉄側において受領不能が明らかな乗務労働を提供するのを潔しとしなかったために過ぎない。

イ 本件ストライキの対象

本件ストライキの対象線区は、千葉以西に限定されており、最大の輸送距離をとっても、千葉~東京(総武快速)三九・二キロメートル、千葉~三鷹(総武・中央緩行)六〇・二キロメートルに過ぎない。

ウ 代替輸送手段の存在

右対象線区には、次のとおり代替輸送手段がある。

武蔵野線(西船橋)~常磐線(千代田線)

総武本線(千葉)~成田線~常磐線(千代田線)

京成線 千葉~津田沼~船橋~市川~小岩~上野

新京成線 津田沼~松戸~常磐線(千代田線)

東武野田線 船橋~柏~常磐線(千代田線)

東西線 西船橋~中野

東武亀戸線 亀戸~曳舟~都営地下鉄~

都営地下鉄線 船掘(ママ)~新宿

また、国電浅草橋以西には、地下鉄網が張り巡らされており、全域に私鉄駅又は都心直行の都営バス・京成バス路線がある。

エ 運行確保率

当局発表による運行確保率は、総武線七二パーセント、総武・中央緩行七四パーセントであり、遅延も総計で一二九〇分に過ぎない。

オ 本件ストライキの参加人員

当局側の認定でも、同月二八、二九の両日を含め、かつ予備乗務員も含めて七三名に過ぎない。しかも、そのうちの数名については、ストライキ参加と認定するには重大な疑問が存在する。

カ 利用客の対応

動労千葉のストライキ計画は、報道陣に注目されていて早くから報道され、ストライキ実施については遅くとも同月二七日夕刻には利用客に周知徹底されており、乗客がストライキに立腹して列車の運行を要求し混乱を生じさせるような事態は皆無であった。

キ 本件ストライキの態様

本件ストライキでは積極的に列車の正常な運行を阻害させる行為を全く行っておらず、組合員の労務提供拒否の態様で行われた整然としたものであった。

(五)国鉄の大量処分とその目的

国鉄は、昭和六一年一月二七日ごろ、本件ストライキについて、〈1〉公労法による解雇・原告ら二〇名、〈2〉日本国有鉄道法による懲戒処分として、停職六か月・五名、停職三か月・二三名、減給三か月一〇分の一・三二名、減給一か月一〇分の一・三三名、戒告・六名、訓告・一名の計一二〇名に上る処分を決定した。この大量処分は、次の事実から動労千葉の組織解体を意図したものと考えるほかなく、原告らは、動労千葉の組合員であるが故の不利益な取扱いとして解雇処分の対象となったと考えざるを得ない。

(1)国鉄総裁の談話

国鉄総裁は、本件ストライキ終了直後に談話を発表し、本件ストライキ当日に発生した国電ゲリラを動労千葉がじゃっ起したと事実無根の指摘をするとともに、本件ストライキ参加者のみならず全員を解雇すると宣言した。

(2)本件ストライキによる損害賠償請求

国鉄は、右の大量処分の発表に際し、動労千葉に対し、本件ストライキによる損害賠償請求を提訴することを明言したが、それは、動労千葉の財政的破たんを意図したものである。すなわち、動労千葉は、本件ストライキ当時、一〇六五名の少数組合員により構成されていた小規模な地方労働組合に過ぎないが、既に不当処分により七名の解雇者を抱えていたから、そこに本件大量処分が上乗せされれば財政上犠牲者救済が不可能になることは明らかであった。

(六)過去の処分例との比較

(1)スト権ストとの対比

八日間にわたって全国をまひさせた昭和五〇年のいわゆるスト権ストのときでさえ、公労法解雇は一五名であった。本件ストライキにおける公労法解雇二〇名は、右スト権ストに比較すれば、それに万倍する規模の大量処分といわざるを得ない。

(2)国労分会委員長に対する公労法解雇事例との対比

労働組合規約上の地位、かつて存在した現場協議制における当事者能力等から見て、国労の分会と動労千葉の支部とは組織内における地位、役割がほぼ同じであり、したがって、動労千葉の支部長が国労の分会委員長に相当するところ、従来、国労の分会委員長に対する解雇がそのまま維持された例はない。

(3)動労千葉八一・三ストライキとの対比

動労千葉は、同五六年三月、ジェット燃料貨車輸送期間延長阻止闘争において五日間にわたるストライキを実施し、うち同月六日のストライキでは千葉局全線にわたって全面運休の結果になったが、これに対する公労法解雇処分は、動労千葉本部副委員長一名及び執行委員三名であって、支部役員に対する解雇処分は全くなかった。

(七)解雇権の濫用を基礎付ける各原告の属人的事由

原告ら個々人に対する解雇権の濫用を基礎付ける事由としては、四4に述べたもののほか、さらに次の事実を加えることができる。

(1)原告片岡

原告片岡は、昭和六〇年一一月二八、二九日の本件ストライキ当日、本部からストライキ拠点の津田沼支部に派遣されていたが、同支部におけるストライキ責任者は上席の派遣執行委員でかつ闘争時における指揮命令系統については厳密に考える水野であり、原告片岡は、その補助者の地位にあったに過ぎない。

(2)原告吉岡

原告吉岡は、本件ストライキについては、連日発行の「日刊動労千葉」の取材・記事手配・編集・印刷・配送の仕事に専念していたため、何らの指導的な行為も行っていない。また、拠点支部への派遣執行委員になっていないので、ストライキ拠点における闘争指導権を掌握できる立場になかった。唯一、同月二八日夕刻、千葉運転区前の集会で発言したが、この集会は千葉運転区支部の集会ではなく、本部主催による同支部以外からの動員者のストライキ現場付近における集会であり、当局の現認によっても右集会は一〇分足らずで終了し、そこで中心になって発言したのは山口である。なお、この種の集会は、争議行為に通常随伴するのものである。

(3)原告篠塚

原告篠塚の本部特別執行委員としての担当業務は、組合の日常業務としての共済関係やサークル活動関係の事務連絡・文書処理であって、本件ストライキについての関連業務は、一切行っていない。これらの日常業務は平時であろうと闘争時であろうと日常的に日々発生し、それらを処理しなければならない性質のものであるから、動労千葉においても、他の組合と同じくそれらの担当者は闘争時であろうともそれに左右されることなく、担当業務に専念することになるのである。したがって、当然に当局側の現認に原告篠塚は一切現れてはいない。原告篠塚は、いわゆる六・一二事件の休職処分で組合本部に特別執行委員として上げられてきた(つまり原告篠塚の特別執行委員の肩書は、休職処分中に本部の業務に付くということからきた体裁上のもので、その実質は組合に雇われた職員と同じものである。)が、所属する津田沼支部では一組合員であって、何らの活動歴も役職歴もない。ストライキについての関連業務は一切行っていない。

(4)原告山下

原告山下は、同月二八、二九日は予備勤務であったため、本件ストライキに参加しておらず、勤務も否認されてはいない。

(5)原告重見

当局の現認によれば、原告重見が原告川口、同椿らの点呼に付き添ったとあるが、それは乗務員詰所で点呼を受けるために待機していた組合員と一緒に部屋続きの当直室まで付いて行くだけのことであり、点呼やストライキ通告を巡って当局との間にトラブルが生じないようにするためであって何らの指導的行為ではない。

(6)原告綾部

当局の原告綾部についての現認は、同月二八日正午のストライキ突入集会への参加とその後の指導員への乗務命令に対する組合の抗議の場面であるが、前者の集会は、ストライキに通常随伴して行われるものであって何ら特異のものではないし、後者は、日常的な労使関係の問題である上、当局とのやり取りは原告片岡が中心となってしており、原告綾部は他の二〇名近い組合員とともにその場にいただけである。

また、原告綾部の勤務は、同日は非番、翌二九日は公休でそもそも本件ストライキの対象とはなっていなかった。

(7)原告永田

原告永田は、同月二八、二九日ともC予備勤務であったが否認され、しかも二九日についてはストライキ終了後の分まで否認(不参)扱いとなっている。しかし、当局は原告永田に対して何らの乗務命令も出していないし、原告永田からもストライキ参加通告はしていないから、否認・不参扱いされる理由はなかった。

(8)原告白井

当局の現認では、原告白井も同月二八日午後〇時〇一~〇四分に当局に対してストライキ突入通告をしたとされているが、それは千葉運転区支部における本件ストライキの責任者である山口に付いていっただけのことであり、その他本件ストライキの指導的行為と目されるような事実はない。

なお、原告白井の勤務は、同月二八日はB予備(~午後二時一六分)であり、同月二九日は公休であった。被告は、原告白井が同月二八日午前一一時三〇分に乗務拒否したと主張するが、それは、通常予備勤務者には行路ダイヤが指定されて乗務勤務が命ぜられるところ、当局が原告白井に対して何等行路を具体的に指定することなく乗務のみを言ったために、原告白井としては応答のしようがなかったものである。仮に原告白井に対して千葉以東の乗務行路が指定されていれば、それは本件争議行為の対象線区とはなっていなかったので、原告白井は乗務していたはずであり、したがって、右「乗務拒否」は、ストライキを理由としたものではなく、また支部副委員長であるが故の拒否でもない。

(9)原告内山

当局の現認によれば、原告内山が戸田某及び関某の点呼に付き添った場面があるが、この付添いとは乗務員詰所に点呼を受けるために待機していた組合員がそこから部屋続きの当直室に行くのに付いて行くだけであり、整然としたストライキとするために当局側とのトラブルが生じないようにするものであって、指導的な行為とは到底認められるものでない。また、当局の現認では、原告内山も同月二八日昼に当局に対してストライキ通告をしたとされているが、それは本部派遣の西森巌に付いて行っただけのことであって、原告内山は、何もしていない。

また、原告内山は、同月二九日朝六時三〇分に出勤し、千葉→四街道→千葉→幕張電車区(回送)と列車を運転し、本来ならばその後津田沼から東京まで快速電車を運転することになっていて、この部分がストライキの対象となっていたのであるが、右快速電車が当局側の計画運休となっていたため、原告内山にとってストライキに入るべき具体的な乗務勤務の内容はなかったものである。

(10)原告川口

原告川口が津田沼支部執行委員として本件ストライキに参画し、それを指導し、実施させたような事実は、当局の現認においても一切現われていない。当局の現認は、同月二八日のストライキ参加(通告)だけであり、原告川口は同日には六〇仕業で本件ストライキに参加しているが、それも原告川口の交番上からの参加であって、組合員としての単純参加に過ぎない。

原告川口は、同月二九日、D予備勤務であったにもかかわらず、ゲリラ事件からの列車復旧のため、他の乗務員が嫌がる保安列車に乗務し、運行再開に積極的に協力している。

なお、原告川口が本件処分以前に受けた処分は、ストライキ参加による戒告一回だけである。

(11)原告椿

原告椿が津田沼支部執行委員として本件ストライキに参画し、それを指導し、実施させたような事実は、当局の現認においても一切現われていない。当局の現認は、右の原告川口と一緒のストライキ通告だけであり、原告椿は同月二八日から翌二九日にかけての六二仕業(泊り仕業)で二日間にわたり本件ストライキに参加しているが、それは原告椿の交番上からの参加であって、組合員としての単純参加に過ぎない。

なお、原告椿は、本件処分以前に過去に一回も処分を受けたことがない。

(12)原告髙橋

当局の現認によれば、原告髙橋が警護斑にば声をあびせたとのことであるが、そのような事実は、指導行為とは関係のない事柄である。原告髙橋は同月二八日の五〇仕業で本件ストライキに参加しているが、それは原告髙橋の交番勤務上からの組合員として単純参加に過ぎない。

原告髙橋は、同月二九日の本件ストライキ終了後、ゲリラ事件で運休した列車の早期回復のため、保安列車の運行ダイヤの策定等について同日勤務時間前から積極的に協力している。

(13)原告田中

原告田中の津田沼支部執行委員としての担当は、教宣担当三役である原告綾部の下での教宣で、具体的には「日刊動労千葉」の支部組合員に対する配布業務が中心であった。原告田中に対する当局の現認の中に指導員への乗務命令に対する抗議の際に原告田中がいたことが出てくるが、それは本件ストライキとは関係のない業務命令のあり方を巡る日常的な労使関係上の問題であるし、そこにおける抗議活動は日常的な組合活動であって、何ら争議行為の指導に当たるものでないことは明らかである。なお、現認では原告田中が机に腰を掛けてとあるが、それは、おそらく現認者において原告田中の体が机に接触しているのを見誤ったものと思われる。

原告田中は同月二八日午後の勤務を欠いたことになっているが、それは、不当な年休の事後取消しの結果であって、本件ストライキの参加とは関係がない。原告田中は津田沼電車区の検修係職員であって本件ストライキの対象外であったが、本件ストライキが同月二九日から同月二八日正午に繰り上がるよりも前の時期に年休を請求し、それが検修係の管理者によって承認されており、さらに当日午後から本件ストライキが実施される同月二八日午前中にも年休取得の確認を求め、その確認を経てから同日午後からの年休に入ったものである。

(14)原告川崎

原告川崎は津田沼支部選出の代議員として第一〇回定期大会に参加し発言しているが、ストライキを決議した(ストライキ権を確立した)大会に代議員として参加したことをもってストライキに参画したとはいえないし、右大会における原告川崎の発言は、本件ストライキに関するものではなく、ネームプレート着用強要を巡る処分問題についてであった。また、原告川崎は同月一七日の全国鉄総決起集会において一言発言しているが、右集会の性格が組合員をストライキに向けて組織化するためのものではなく、本件ストライキに向けた動労千葉に注意を広く対外的に明らかにするというものである以上、右集会における発言をもって「参画」「指導」「実施」に当てはめることはできないし、原告川崎の発言自体極めて簡単なものであって、そこからは本件ストライキの指導性を読み取ることは不可能である。

同月二八日昼の津田沼電車区における動労千葉主催のストライキ突入集会における当局の現認は、現認担当者が原告川崎と本部青年部書記長杉本某とを人間違いし、かつ、前段の本部青年部集会と本部主催の突入集会との混同したものに過ぎない。津田沼支部には本部から杉本が派遣され、同支部青年部の行動を本部青年部の統制下に置いていたのである。

原告川崎は、津田沼電車区(当時)の検修係の職員であって本件ストライキの対象とはなっていなかったし、同月二八日は公休で、翌二九日は平常どおり日勤勤務についている。

なお、原告川崎は、本件処分以前に過去一回も処分を受けたことがない。

(15)原告山田

当局の原告山田に対する現認の内容は、原告山田が千葉運転区において青年部の先頭で頑張っていたというたぐいのものであって、「参画」「指導」「実施させた」等の指導的行為とは性質を異にする。そして、この種の出来事は、国鉄の争議時には通常のものであり、取りわけ当局側の発する退去通告は、一種の儀礼的なものである。また、原告山田の全国鉄労働者総決起集会における発言は、三四〇〇名の参加した外部向けの集会でのものであり、したがって、この発言は、特に組合員に対する指導行為などではない。ストライキ決起集会でのシュプレヒコール一回をもって解雇正当化事由とならないことは当然である。

(16)原告加藤

当局の原告加藤に対する現認は、同月二八日の原告加藤のB予備勤務に関するものだけであって、しかも、原告加藤が当局側の「臨時仕業」の業務指示に応じなかったのは、当局が原告加藤に対して臨時仕業の具体的な乗務行路の指定及び通常はある臨時仕業の発生の具体的な理由(乗務すべき行路と関係する)の説明がなかったからである。仮に当局による原告加藤に対するB予備の行路指定が千葉以東であったのであれば、原告加藤は、業務指示どおりに乗車勤務についていたものである。

(17)原告梅沢

原告梅沢の千葉運転区支部執行委員としての担当は、財政(組合費の徴収)であり、第一〇回定期大会にも支部代表者会議にも参加していない。

当局の原告梅沢に対する現認は、同月二九日の二回であるが、第二回目の午後〇時五〇分時点のものは、本件ストライキ終了後の原告梅沢の復帰点呼に関するものであり、第一回目の平野C予備の件も本件ストライキを「指導し実施させた」に該当するようなものではない。この原告梅沢のストライキ参加は、ストライキの実施日と原告梅沢の交番勤務とが重なった関係から生じたものに過ぎず、ストライキの実施日がずれていれば、原告梅沢は、ストライキ参加とはならなかった。

(18)原告後藤

原告後藤が本件ストライキ当時千葉運転区支部の執行委員であったといっても、本件ストライキ直前の同年一〇月一九日の同支部定期大会で選出されたばかりであって、そもそも原告後藤の千葉運転区の在職期間も短く、組合活動の経歴も皆無に等しい(原告後藤に処分歴のないことがこれを物語っている。)。当局の原告後藤に対する現認も同年一一月二九日のストライキ終了後の復帰点呼のためのものだけである。

(19)原告櫻澤

原告櫻澤は、本件ストライキ当時、何らの動労千葉の役職についていない一般組合員でしかなかった。

当局の原告櫻澤についての現認が多いのは、他の組合員と共に行動していてもかつて本部交渉部員として当局側の管理職や担当職員との接触が多く当局側に顔が広く知られていた結果に過ぎず、現認内容としても指導行為に該当するような事実は現われていない。同月二八日午後一〇時ごろに当局から受けた退去指示は、職員の休憩などのための控室として自由に利用されている乗務員詰所からであって、千葉運転区運転管理室からではない。

(20)原告森内

原告森内は、第一〇回定期大会に至るまで本部特別執行委員の地位を有し、雇用安定協約の締結に向けて本件ストライキの実施を決めた、すなわち、ストライキ権を確立したのは確かに右大会であるが、原告森内の本部特別執行委員というのは、本部交渉部の一交渉部員として団交参加の便宜のために付与された肩書に過ぎず、闘争の企画や組織とは別個の、組合業務に従事していたものであり、また、本部特別執行委員としては、組合大会の場合には会場の設営・受付・宿泊や食事の手配・記録係などの裏方の仕事をやるだけであって、これをもって「参画」ということはできない道理である。

原告森内は、同年一〇月三日の支部代表者会議の段階ではいまだ動労千葉成田支部長にはなっていないし、同月三一日の支部代表者会議は体調が悪く欠席しており、出席した支部代表者会議は同年一一月二一日の一回に過ぎない。しかも、支部代表者会議は、前述したように組合における決議や執行の機関ではなく本部の決定事項を各支部に伝達するだけの機能を有するに過ぎない。したがって、支部長として支部代表者会議に参加したことをもって「ストライキに参画した」ということはできない。

本件ストライキに関連して当局から現認された原告森内の所為は、同月二八日夕刻の千葉運転区前の集会に本部の動員指令に基づいて他の動員者とともに参加していた、というものに過ぎず、実際にも原告森内は、右集会に単に動員参加しただけであって、発言等は一切していない。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1ないし3はいずれも争う。

原告らは公労法一七条及び一八条が憲法二八条に違反して無効である旨主張するが、これが原告らの独自の見解にすぎないことは確立された最高裁判所判例(昭和四一年一〇月二六日刑集二〇巻八号九〇一頁。昭和五二年五月四日刑集三一巻三号一八二頁各大法廷判決等)に照らし明らかである。

また、制限的適用論もその理由がないことは右最高裁判例をはじめ幾多の判例の存するところであり、原告らの主張する団交拒否や雇用安定協約の未締結がなぜ代償措置の現実に機能していないことになるのか理解することができない。

2(一)再抗弁4冒頭の主張は争う。

(二)(1)同4(一)は争う。

原告らは再建監理委員会の「分割民営化」の答申が「一〇万人の首切り合理化」であるなどというが、このような主張は、一方的独断に基づくものであり、右答申が国鉄職員の雇用の場の確保を最重要課題として提示され、その後答申に沿って国鉄改革法など一連の法律が国会で成立し、昭和六二年四月一日をもって分割民営化が実施され、その時点において国鉄職員が新事業体又は被告の職員としていずれもその雇用が確保されたことは公知の事実である。

(2)同4(一)(2)は争う。

原告らは本件争議行為の目的は雇用安定協約放棄に抗議するものであるというが、動労千葉は、その存続の前提となる余剰人員対策(いわゆる三項目)への協力を拒否し(このような事態において、日本国有鉄道法二九条四号の原則によらざるを得ないことは国鉄に課せられた責務である。)、しかも、同協約失効前にその交渉を放棄して本件争議行為を強行したのであるから、その主張の理由のないことは明らかである。むしろ、動労千葉は、それ以前の同六〇年九月に開催された第一〇回定期大会において、既に国鉄分割・民営化阻止を目的とするストライキを同年一一月下旬に実施することをあらかじめ決定していたのであって、そのことからしても、本件争議行為が政治目的のために実施されたスケジュール闘争であることが明白であり、その違法性は顕著である。

(3)同4(一)(3)は争う。

(二)(1)同4(二)(1)のうち、動労千葉が同六〇年九月九日から同月一一日までの間第一〇回定期大会を開催してストライキを含む第一波闘争を同年一一月下旬に設定したことは認めるが、その余は争う。

(2)同4(二)(2)、(3)及び(5)ないし(9)は趣旨において争う。

(3)同4(二)(4)は、六2(一)(2)で述べたとおりである。

(4)同4(二)(10)は争う。

原告らは、あたかも国鉄が不当に団交要求を拒否したように言い、本件争議行為を正当化しようとするが、その団交要求なるものは、そもそも再建管(ママ)理委員会の最終答申の内容の当否等を中心とするもので、しょせん政策論争にとどまるものであるから、国鉄が対応し得るものではなく、また要員問題等の具体的事実関係については、必要に応じて説明の機会を設けていたものである。

(三)(1)同4(三)(1)のうち、動労千葉執行委員長が各支部長に対し、指令第七号を発し、ストライキ実施等の準備体制の確立を指示したことは認めるが、その余は争う。

(2)同4(三)(2)は争う。

(3)同4(三)(3)は争う。

国鉄当局においては、動労千葉の違法な争議行為に対しては可能な限り業務阻害の結果発生を回避するよう対策を講じていたところ、動労千葉は、このような国鉄当局の対応を「スト破り」であるとして、実施直前の同月二七日に至り、ストライキ開始を半日繰り上げ、同月二八日正午から本件争議行為に突入したのである(争議行為の突然の繰上げ実施が争議権を認められている私鉄等においても違法であることは、労働関係調整法三七条に照らして明らかである。)。

また、動労千葉及びその組合員の違法なストライキに対し、千葉局長のみならず、国鉄総裁自ら国鉄が置かれている状況を明確に指摘し、そのような所為が業務の正常な運営を阻害する違法行為であるからこれを中止するする(ママ)よう動労千葉及びその組合員に対して要求し、もしそれが強行された場合には、従来の例によらず厳しくその責任を追及することを警告し、職員に対する周知を徹底するための掲示をも行ったのである。原告らは、右のような国鉄当局の警告にもかかわらず、これにあえて抵抗し、前述したような違法なストライキに至る経緯、三里塚闘争との連帯の実情等を熟知しながら、積極的に関与したものであり、特に原告ら被解雇者は、その地位及び確認された事実に照らして情状の重い者に属するのである。

(4)同4(三)(4)のうち、動労千葉執行委員長が同月二八日に各支部長に対して指令第八号を発し、各支部が同日午後〇時以降に千葉以西に乗り入れる全旅客列車の乗務員を対象とする指名ストライキに突入することなどを指示したことは認めるが、その余は争う。

(四)(1)ア 同4(四)(1)アのうち、動労千葉が動労を脱退した組合員によって結成された労働組合であることは認めるが、その余は争う。

動労千葉は、当時一〇〇〇名余の組合員によって構成された地域集団で、国労や動労に比して小規模であり、その意思決定、連絡等が緊密に行われることは明らかである。

イ 同4(四)(1)イのうち、動労千葉が小規模の組織であることは認めるが、その余は争う。

動労千葉は、本件ストライキを実施するに当たって支部代表者会議を繰り返し開催するとともに、各支部においても定期大会等を開催し、また情宣ビラを配布する等の行為が重ねられた。

ウ 同4(四)(1)ウは争う。

動労千葉による違法な本件争議行為は、動労千葉が国鉄における他の労働組合と関係なく独自に企画、実施したものであり、その組合員が一致団結して徹底した取組がなされたことは、その経過を見れば明白である。すなわち、本件争議行為に当たって現に支部代表者会議の開催、支部の個別具体的状況の報告等により動労千葉所属組合員の意思統一が図られ、さらに、各支部において定期大会を開催するなどして本件争議行為の実施へ向けて組合員の結束、参加を促したことは明らかであり、動労千葉の場合は、「同組合結成以来の経緯等から各支部組合員の争議行為に対する意識は高く、」これまでの争議においても「実質的には各支部の主導の下に行われた」のである。そして、このような事態は、組合規約に照らして見ても当然許容されるところで、支部は大会等本部機関の決定に反する決定を行い得ないのみで、これを積極的に推進、実施し得ることは組織上当然に予定されているところである。しかも、成田、津田沼各支部においては、独自に支部闘争委員会までも設置し得るのであるから、これらに照らして考えれば、支部執行委員について本件争議行為を参画、指導し、実施させたものとしてその責任を問うことは、経験則上許容される理解に基づくものであり、この責任は、他に本部から執行委員が派遣されているか否かによって左右されるものではない。

(2)ア 同4(四)(2)アのうち、本件ストライキが同六〇年一一月二八日正午から翌二九日まで実施されたこと、同日「国電ゲリラ」が発生したことは認めるが、その余は争う。

イ 同4(四)(2)イのうち、本件ストライキの対象線区が千葉以西であったことは認めるが、その余は争う。

ウ 同4(四)(2)ウ、オ及びキはすべて争う。

エ 同4(四)(2)エは争う。

違法な本件争議行為は同日正午まで継続されたが、その間に誘発された同時多発ゲリラと相まって、旅客列車八六三本、貨物列車六〇本の運休のほか、多数の列車遅延がじゃっ起されるに至った。

オ 同4(四)(2)カは争う。

動労千葉は、前述したように本件ストライキの開始を半日繰り上げて同月二八日正午から本件争議行為に突入した結果、利用者への影響はより深刻なものとなった。

(五)(1)同4(五)冒頭の事実及び主張のうち、国鉄の本件ストライキによる大量処分が動労千葉の組織解体を意図したもので、原告らが動労千葉の組合員であるが故の不利益な取扱いとして解雇処分の対象となったことは否認する。

動労千葉による違法な本件争議行為の特異性、異常性はことのほか明白であって、このような常軌を逸したともいえる労働組合の行為が相応の厳しい処分の対象とされることは当然かつ正当なことであり、それが不当であるといわれる筋合にないことは、原告らの所為に対する世論の厳しい批判に照らして見ても容易に理解されるのである。

(2)同4(五)(1)は趣旨において争う。

本件争議行為の比類のない異常性としてさらに指摘し得ることは、動労千葉が自らと政治理念を同じくする過激派集団との共闘を繰り返し確認し、それに沿う行動を重ね、ついには一部過激派の同時多発ゲリラが誘発されたことである。すなわち、動労千葉は、その結成当初から三里塚反対同盟と連帯して成田空港開港阻止闘争、ジェット燃料輸送増送阻止闘争など政治的色彩の強い闘争行為を繰り返し実施してきたものであり、本件争議行為においても、特に三里塚反対同盟との間における労農連帯を標ぼうし、国家的要請に基づいてその再建に努力する国鉄及び政治に対する挑戦であることが公言されていたのである。取りわけ同年一〇月一三日には動労千葉の本部が所属する動力車会館に、「国鉄『分割・民営化』阻止、三里塚労農連帯、動労千葉支援共闘会議」が設置され、ここにおいて、動労千葉の本件争議行為支援について具体的方針を決定し、支援資金カンパを継続するとともに、同年一一月一七日の「全国鉄労働者総決起集会」を支援するなどしており、このように、一部の過激派集団が動労千葉の違法な争議行為に関する情宣活動と呼応して公然とこれを支援し、そのための実力行使もあり得ることを示唆するに至っていたにもかかわらず(一部の過激派集団は、現に同月二一日に「動労千葉のストライキ闘争への弾圧粉砕の戦いである。」として、千葉局三幹部宅に火炎瓶を投下しており、さらに、たとえばビラにおいて「一一月ストライキで首都圏と全国を一大騒乱にたたきこみ、勝利せよ」と明記するなどして、実力行使を示唆している。)、あえてこれらとの共闘を繰り返し確認して交通機関の混乱の助長を容認し、スト実施中においても、右支援団体とシュプレヒコールの交換を行い握手するなどの非常識な所為が数多く現認されているのであって、結果的に、動労千葉による繰上げ本件争議行為を契機として、一部過激派の信号ケーブル切断等の同時多発ゲリラ活動が誘発され、首都圏等における列車の全面的運行阻害を招来するに至ったことが認められるのである。のみならず、右ゲリラ活動による前例のない異常事態に対処するため、国鉄が全職員を上げて緊急体制を採り、その復旧に努めたなかにおいても、動労千葉はこのような事態を認識しながら、平然と本件争議行為を継続して社会不安を増幅したのであり、これらの事実を総合して考えれば、本件争議行為は従来の違法争議に比し一層悪質な違法行為と断ぜざるを得ないのである(もとより、右過激派による行動は、原告らの処分事由には含まれていない。)。

(3)同4(五)(2)のうち、動労千葉が本件ストライキ当時一〇〇〇名余の小規模な地方労働組合であったことは認めるが、国鉄が動労千葉に対して本件ストライキによる損害賠償請求を提訴することを明言したことが動労千葉の財政破たんを意図したものであることは否認する。

(六)同4は争う。六4(六)(1)で述べたとおりである。

(七)同4(七)は争う。

原告らの本件争議行為への関与は、抗弁において述べたとおりであり、原告らの本件争議行為に関する責任は明白であって、本件解雇処分が前述したような異例に高度な違法性(このような特異かつ顕著な違法性を有する争議行為は他に例を見ないものであると言い得る。)並びに原告らの動労千葉における地位及びその所為等諸般の事情を勘案してなされたものである以上、これは、国鉄総裁に許容された裁量権の範囲内において正当になされたことを否定すべきもないから(最高裁昭和四九年二月二八日判決・民集二八巻一号六六頁、同昭和五二年一二月二〇日判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)、解雇権濫用といわれる余地はなく、その適法性は明白である。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の各記載を引用する(略)。

理由

第一雇用契約上の地位の存否について

一  原告らが国鉄職員であったこと等について

1  原告らが国鉄職員であったことについて

原告らがそれぞれ昭和六一年二月六日まで国鉄千葉局の別表二(略)の「番号」欄各号の「原告」欄の当該各号に掲げる原告の「職種」欄の当該各号に掲げる職種で「所属職場」欄の当該各号に掲げる職場に勤務する職員であったことについては、当事者間に争いがない。

2  被告の国鉄からの移行と確認の利益について

請求の原因2については、当事者間に争いがない。

二  原告らの公労法一七条に該当する行為の有無等について

1  原告らの公労法一七条に該当する行為の有無等について

(一)次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、原本の存在と成立に争いのない(証拠・人証略)、昭和六〇年一一月二七日当時の写真であることについては当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨により氏名不詳者が国鉄千葉駅(以下、単に「千葉駅」という。)コンコースで同月二八、二九日のストライキの予定を乗客に知らせる掲示板を撮影した写真であると認められる(証拠略)、いずれも千葉局総務部人事課某が同月二八日に撮影した写真であることについては争いがなく、原告後藤本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により同日午前一一時四〇分ごろ千葉運転区庁舎入口付近で千葉運転区支部青年部組合員を中心に国鉄当局に対し要求している集団中に原告山田及び同後藤がいる状況を撮影した写真であると認められる、同日午後二時二〇分ごろ同庁舎入口付近で国鉄当局の退去通告にもかかわらず同庁舎内に多数の組合員が結集している状況を撮影した写真であると認められる同号証の七、右の結集している多数の組合員の中に原告後藤がいる状況を撮影した写真であると認められる(証拠略)、同日午後四時三九分ごろ及び同四一分ごろの同庁舎正門付近で本件ストライキの支援団体が国鉄当局に対して同運転区構内にある動労千葉の組合事務所に入れるよう要求している状況を撮影した写真であると認められる、同四五分ごろ同運転区付近で本件ストライキの支援団体を迎えそれと交流している同支部青年部を中心とする動労千葉組合員の内に原告後藤がいる状況を撮影した写真であると認められる(証拠略)、同課某が同日撮影した写真であることについては争いがなく、弁論の全趣旨により、同時刻(同四五分ごろ)に同運転区正門付近で右支援団体を迎えそれと交流している同支部青年部を中心とする動労千葉組合員の中に原告山田がいる状況を撮影した写真であると認められる、同五二分ごろ及び同五五分ごろ同運転区正門付近及び正門の外で同支部青年部を中心とする同支部組合員が到着した支援団体を歓迎し、その支援に答えてシュプレヒコールを行っている中に原告山田がいる状況を撮影した写真であると認められる(証拠略)、同日午後五時ごろ同運転区玄関前に動労千葉組合員が結集し、同運転区長から退去通告を受けている状況を撮影した写真であると認められる(証拠略)、同日午後一〇時四五分ごろ乗務員詰所(運転管理室)入口付近で国鉄当局の再三にわたる退去通告にもかかわらず動労千葉組合員多数が結集している中に原告山田がいる状況を撮影した写真であると認められる(証拠略)、同課某が同二九日に撮影した写真であることについては争いがなく、弁論の全趣旨により、同日午前八時〇七分ごろ同運転区正門付近で動労千葉組合員が当局の制止にもかかわらず同運転区構内への入構を強行しようとしている中に原告加藤がいる状況を撮影した写真であると認められる(証拠略)、同日午前八時一〇分ごろ同運転区正門付近で動労千葉組合員が当局の制止にもかかわらず同運転区構内への入構を強行しようとしている中に原告後藤がいる状況を撮影した写真であると認められる(人証略)(ただし、原告片岡のそれは、一部)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

(1)本件ストライキに至る経緯

危機的状況にあった国鉄の経営を再建するため、国鉄はもとより政府等も昭和五四年ごろから様々な方策や施策を試みてきたが、より抜本的な再建策を検討することを目的として同五八年五月に日本国有鉄道の経営する事業の再建の推進に関する臨時措置法(国鉄再建監理委員会設置法)が制定され、それに基づいて同年六月に再建監理委員会が発足した。〔同委員会は、〕以後二年余にわたり審議を重ね、同六〇年七月二六日、政府に対し、〔国鉄の分割・民営化を内容とする〕答申「国鉄改革に関する意見―鉄道の未来を拓くために―」すわち〔最終答申を提出した。〕右答申の主な内容は、〈1〉効率的な経営形態の確立のために、〔国鉄の事業を六旅客鉄道会社、〕全国一元の〔鉄道貨物会社〕等〔に分割して民営化し、〕同六二年度の旅客鉄道会社の適正要員規模を一六万八〇〇〇人程度、鉄道貨物事業の要員数を一応一万五〇〇人弱と見込んだこと(新事業体の発足時における要員規模を約一八万三〇〇〇人としたことについては、当事者間に争いがない。)、〈2〉国鉄事業再建に対して解決すべき諸問題として、同年度首における国鉄の在籍職員数約二七万六〇〇〇人のうち右適正要員規模を上回る約九万三〇〇〇人の余剰人員について新事業体に移行する前に二万人程度の希望退職の応募を期待し、移行時点で旅客鉄道会社に約三万二〇〇〇人を移籍させ、「旧国鉄」に所属することになる約四万一〇〇〇人をできるだけ早期に安定した職業への雇用の場の確保を図る万全の体制をとるものとし、右約四万一〇〇〇人の対策及び国鉄の債務整理等の事業や新事業体が負担しないものの処理のために「旧国鉄」に改組すること、〈3〉改革の推進体制及び移行時期等として、政府及び国鉄では国鉄事業の分割・民営化を円滑かつ確実に実施するための諸措置を明示するとともに〔国鉄事業の分割・民営化の実施時期を同年四月一日とする〕ことというものであった。

政府は、同六〇年七月三〇日、最終答申を最大限尊重する旨の閣議決定をして、国鉄改革に関する関係閣僚会議を設置し、翌三一日、所管行政庁である運輸省に国鉄改革推進本部を設置し、同年八月七日、国鉄余剰人員雇用対策本部を設置する旨の閣議決定をした。また、国鉄も、同日、本社に雇用対策室、職業訓練室を設置した。

〔動労千葉は、〕動労(「国鉄動力車労働組合」の略称。「動労本部」ということもある。この略称に対する正式名称が注記のとおりであることは、当裁判所に顕著な事実である。以下の略称に対する正式名称の注記において同じ。)の第三四回全国定期大会における合理化反対闘争、三里塚芝山連合空港反対同盟との共闘等を巡る運動方針の意見の対立から千葉地方本部執行委員長の関川宰らが動労から除名されたことをきっかけとして、〔昭和五四年三月三〇日に〕同地方本部が〔動労から分離・独立して結成された労働組合であって、本件ストライキ当時一〇〇〇名余の小規模な地方労働組合であった〕が、結成当初から新東京国際空港開港阻止闘争、ジェット燃料輸送、増送阻止闘争など政治的色彩の強い争議行為を繰り返し実施してきたところ、右のように政府及び国鉄が最終答申の実現に向けて積極的に取り組んでいたのに対して、最終答申を国鉄労働運動の解体をもくろむものであるとして強く反発し、同月末ごろから、機関紙である「日刊動労千葉」等において「自からの闘いで国鉄労働者の明日をきりひらこう!未曽有の国鉄労働運動解体攻撃粉砕!反動・中曽根内閣打倒へ『国鉄』と『三里塚』を基軸に全労働者の怒りを結集し、総反撃に撃て出よう!」をメインスローガンとするキャンペーンを張ったり、〔同年九月九日から同月一一日にかけて開催される第一〇回定期大会〕を極めて重要な動労千葉の大会であると位置づけて、本部青年部長の原告田中の「デマとペテンでぬり固められ、労働者人民にすべて犠牲をしいる『7・26監理委答申』を徹底弾劾し、『分割・民営化』=十五万人首切り攻撃は、頭を低くして通りすぎることなど絶対にできない。行きつく先は戦争だ。大ストライキを準備し、また、それと結合し、いよいよ本格的攻防に突入した三里塚に勝利し、中曽根を打倒しよう」とのあいさつで議事に入った同年八月三一日と翌九月一日両日の動労千葉青年部第八回定期委員会において同部長に原告山田を選出したりするなど、第一〇回定期大会の成功に向けて着々と組合内の組織固めを進めていった。動労千葉の最高決議機関は組合規約上大会である(二三条)ところ、〔動労千葉は、〕〔第一〇回定期大会において、〕闘いの目標に〈1〉国鉄分割民営化阻止、〈2〉一〇万人首切り合理化粉砕・雇用安定協約完全締結・「61・3」「61・11」ダイ改阻止・基地統廃合反対、〈3〉運転保安確立、〈4〉国鉄労働運動解体攻撃粉砕・労働組合無視糾弾・一切の差別分断攻撃を許すな等を据え(国鉄分割・民営化による一〇万人首切り合理化阻止などを中心としたことについては、当時者間に争いがない。)、その具体的展開として「国鉄分割・民営化阻止、雇用安定協約完全締結、反合・運転保安確立」などを中心に、〔ストライキを含む第一波闘争を同年一一月下旬に設定すること〕等を満場一致で〔決定した〕が、〔右大会には、原告片岡、同吉岡、同篠塚、同山下、同重見、同綾部〕、同永田、同白井、同内山、同川口、同川崎、同山田、同櫻澤及び同森内ら〔が出席し、〕第二日目午前の経過報告における質疑で、代議員として出席した原告川崎は、「一〇万人首切り粉砕闘争として徹底的に闘おう」との意見を出し、第二日目午後の運動方針(案)の討議で、同じく原告綾部は「中曽根の攻撃は絶望的で成算がないものであるにもかかわらず、国労(「国鉄労働組合」の略称)民同(「民主化同盟」の略称)、日共(「日本共産党」の一種のべっ称)の屈服、動労「本部」革マル(「革マル派」の一種のべっ称。「革マル派」は、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派」の略称)の反革命的促進は敗北主義をまんえんさせており、「61・11」にむけ断固たるストに決起していかねばならない。動労「本部」革マルに対し、分離・独立時の闘いを再度展開すべきだ。」との、同じく原告重見は「中曽根の戦争にむけた国鉄労働運動解体攻撃は謀略的攻撃をも予測し、階級的警戒心をもって組織破壊を許さぬ闘いを一丸となって問おう。」との各発言をしている。また、原告片岡は、右大会で本部執行委員に選出され(原告片岡が本件争議為行当時本部執行委員の地位にあったことについては、当事者間に争いがない。)、大会宣言を読み上げている。

第一〇回定期大会以降、千葉局の全職場で執行委員会、職場集会が開かれ、右大会方針の徹底に向けた議論が進められていたが、動労千葉は、同年一〇月三日、右大会で決定された同年一一月末のストライキを中心とする第一次統一行動の貫徹に向けて、〔第一回支部代表者会議を開催し、〕当面する取組の一つとして同月中に各支部大会を開催する決定をした。右会議には、原告片岡、同吉岡、同山下〕及び永田ら〔が出席している。〕

国鉄は、同月九日、各組合に対し、再建監理委員会の最終答申を受けて、それまでに検討を加えてきた要員体制の考えを「今後の要員体制の考え方について」と題する書面で説明した。それによると、営業、運転、施設等の系統別に要員規模の目標値を定め、それぞれの枠組みの中で徹底した効率的体制を構築するものとし、各地方機関は、それらに基づいて早急に具体的合理化計画を策定して、合理化の具体的実施を同六一年一〇月末までに完了させるというものであり、現業部門の要員規模は一六万七二〇〇人と、うち運転系統のそれは四万一九〇〇人となっている。右の現業部門の要員規模に参考として示された二万八一〇〇人の非現業部門等の要員規模を加えた一九万五三〇〇人の要員規模は、再建管理委員会の最終答申で示された二一万五〇〇〇人を上回る厳しい合理化案であった。

動労千葉ジェット闘争支援共闘会議が同月一三日に動労千葉の本部のある動力車会館で各界、友誼単産、組織の代表四〇名の参加の下に開催され、座長に三里塚芝山連合空港反対同盟事務局長北原鉱治を選び、動労千葉を代表して特別報告に立った中野の「第十回定期大会で、十一月第一波ストライキをはじめ、来年十一月まで数波のストライキで闘う方針を決定した。…全力の支援をお願いしたい」との決意表明を受けて全参加者による討論を通し、同六〇年一一月一七日に日比谷野外音楽堂で開催される「11・17全国鉄労働者総決起集会」の圧倒的成功を勝ち取る。動労千葉ストライキ戦術決定後の支援防衛行動に全国動員で総決起する。名称を「国鉄『分割・民営化』阻止、三里塚労農連帯、動労千葉支援共闘会議」と改め発展させるなどを決定し、この貫徹に向けて当面10・20三里塚総決起を圧倒的に勝ち取ることを確認した。

津田沼支部第八回定期大会が同年一〇月一五日に開催され、同支部長(同支部規約上の正式名称は執行委員長で、支部長は通称と思われるが、以下では「支部長」という。)の原告山下は、あいさつで「支部は、自信と確信をもって十一月ストを打ちぬき全力で闘う」との決意を明らかにした。同年一〇月一九日発行の「日刊動労千葉」は、同支部通信員発の記事として、同「支部が火の玉となって十一月ストへ総決起する方針を決定した。」ことを掲載している。なお、右大会で同支部長に原告山下が、同支部副支部長(同支部規約上の正式名称は執行副委員長で、副支部長は通称と思われるが、以下では「副支部長」という。)に原告重見が、同支部書記長に原告綾部が、同支部執行委員に原告川口、同椿及び同髙橋が、同支部青年部長に原告川崎がそれぞれ再選され、同支部執行委員に原告田中が新たに選出された(本件争議行為当時、原告山下が同支部長の、原告重見が同支部副支部長の、原告綾部が同支部書記長の、原告川口、同椿及び同髙橋がいずれも同支部執行委員の、原告田中が同年一〇月一五日から同支部執行員の各地位にあったことについては、当事者間に争いがない。)。

千葉運転区支部も同月一九日に第八回定期大会を開催し、同支部長(同支部規約上の正式名称は執行委員長で、支部長は通称と思われるが、以下では「支部長」という。)の原告永田が冒頭に「鉄路を武器に、権力、右翼、革マルの反動を打ち破り、団結力を出しきって闘おう。」とあいさつをし、同支部書記長の原告内山が方針案の提起をした後質疑応答に入り、「十万人首切り攻撃に十一月ストを軸とする第一波闘争を断固として打ち抜き、反動中曽根内閣打倒にむけ、一丸となって闘う」等の方針を満場一致で決定した。同年一〇月二三日発行の「日刊動労千葉」は、同支部通信員発の記事として、「十万人首切り攻撃に対し、動労千葉の最先頭でストライキに決起する闘う方針を確立した。」ことを掲載している。なお、右大会で同支部長に原告永田が、同支部副支部長(同支部規約上の正式名称は副執行委員長で、副支部長は通称と思われるが、以下では「副支部長」という。)に原告白井が、同支部書記長に原告内山が、同支部執行委員に原告加藤、同梅沢がそれぞれ再選され、同支部執行委員に原告後藤が新たに選出された(本件争議行為当時、原告永田が同支部長の、原告白井が同支部副支部長の、原告内山が同支部書記長の、原告加藤、同梅沢及び同後藤がいずれも同支部執行委員の各地位にあったことについては、当事者間に等いがない。)。

「10・20二期工事阻止、不法収用法弾劾、成田用水実力阻止、東峰裁判闘争勝利、動労千葉支援、脱落派粉砕・一掃、全国総決起集会」が同月二〇日に三里塚第一公園で開催されたが、動労千葉は、右集会に「十一月ストの前段闘争として」四四〇名のいわゆる五割動員をかけるとともに、動労千葉を代表した中野は、「三里塚・国鉄決戦で、中曽根を打倒する。11・17全国鉄労働者集会を事実上のスト突入宣言の日とし、全国鉄労働者を組織し、十一月ストへ進撃する。全国の労働者の支援を心から訴える。」との特別報告をしている。

国鉄は、同年一〇月二三日、各組合に対し、中央での合理化一一項目を提案している。

〔動労千葉は、同月三一日には〕支部長のみならず原則として支部三役が出席する〔拡大支部代表者会議を開き、〕第一波ストライキ貫徹に向けた諸行動、組織強化などについて意思統一を図るとともに、一一・一七全国鉄労働者総決起集会など、その後のスケジュール等について確認した。〔右拡大支部代表者会議には、原告片岡、同吉岡、同篠塚、同山下、同重見、同綾部、〕同永田、同白井及び同内山ら〔が出席している。〕そして、〔動労千葉は、同年一一月一三日、原告片岡、同吉岡及び同篠塚らが出席して第七回執行委員会を開催し、本件ストライキ等争議戦術の大綱について決定した。〕同月一七日に東京日比谷野外音楽堂で開催された全国鉄労働者総決起集会では、分割・民営化阻止・一〇万人首切り反対・一一月ストライキ貫徹・中曾根(内閣)打倒等をうたい、中野が「ストライキで敵に目にものを見せてやる。一一月二九日、総武緩行・快速を中心に首都圏をガタガタにする闘いに起つ。」との基調報告をしたのに続いて、全支部を代表して千葉運転区支部長の原告永田、津田沼支部長の原告山下、〔本部青年部長の原告山田、〕津田沼支部青年部長の原告川崎ら〔が〕次々に〔ストライキ貫徹の決意を表明した〕(原告川崎が発言したことについては、当事者間に争いがない。)。すなわち、原告山下は「全ての闘う仲間を結集しながらストライキを断固貫徹し三里塚・国鉄を基軸に中曽根を打倒するまでトコトン闘いぬく。」などと、原告永田は「私たち電車支部は、先頭にたってストを断固貫徹する。」などと、原告山田は「青年部は最先頭でストライキ貫徹へ闘いぬく。」などと、原告川崎は「十一月二九日のストライキを絶対に守りぬくという立場から最先頭で闘う。」などとそれぞれ決意表明をしたのである。なお、右集会において原告森内は成田支部長として他の支部長とともに壇上に並び、また、右集会には、津田沼支部から原告川口、同椿ら二〇~三〇名の組合員が参加し、千葉運転区支部からも二〇~三〇名の組合員が参加している。

動労千葉各支部は、それらと平行して木更津を皮切りに地域集会を主催した。そして、例えば同月一三日に幕張支部と千葉運転区支部との共催で開かれた千葉地域集会では、原告永田が聴衆に対して「国鉄労働者がゼネストで闘い、中曽根を打倒する以外に勝利はない。今日の集会を契機に明日から本気でたち上ろう」と訴えている。

このような動労千葉の動きに対し、千葉局長草木陽一(以下「草木」という。)は、同月一九日付け申入書により、動労千葉執行委員長中野に対し、ストライキが実行された場合には厳しく責任を追及する旨の警告をし、次いで管内各職場に同月二〇日付け「各位殿違法ストライキについて」と題する文書を掲示し、職員に対し、同様の警告をし、それに加えて、同月二〇日ごろ、職員宅にも、同様の警告と国鉄再建への協力を求める内容の文書を送付し、国鉄総裁杉浦喬也も、同月二七日付け申入書により、動労千葉執行委員長中野に対し、ストライキが実行された場合には厳しく責任を追及する旨の警告をした。

(2)本件ストライキの実施

動労千葉は、同月二一日、第三回支部代表者会議を開催し、全国鉄労働者総決起集会の成功、ストライキ方針と結合して進められている五〇〇〇万人署名の前進、各支部主催の地域集会の成功などストライキ貫徹に向けた体制が着々と確立されているとして、同月二九日のストライキの戦術の基本について、

〈1〉始発時から総武線千葉以西の全列車を対象とする二四時間ストライキとする(ただし、貨物列車を除く。)。

〈2〉〈1〉にかかわらず、構内・庁舎から組合員の強制排除官憲の介入、スト破り行為が発生した場合には、ストライキ突入時間の繰上げ、スト対象線区の拡大(千葉駅に乗り入れる全列車)をもって対応する。

〈3〉したがって、同月二八日以降、全支部、全組合員によるストライキ突入体制を確立する。

〈4〉国労に対し、従前の通りB変仕業(乗務員の臨時に変更された仕業ないしそれへの就労)の拒否を申し入れる。

〈5〉同月二八日午後五時三〇分から津田沼電車区及び千葉運転区において、スト前夜総決起集会を開催する。を、また、ストライキ前段の取組として、

〈1〉全組合員が業務命令、保護願いを絶対に受け取らず拒否する体制の確立

〈2〉全支部ろう城体制・常時連絡体制の確立

〈3〉当局の動向把握、現場長交渉の追求

〈4〉国労共闘の強化

をそれぞれ決定した。第三回支部代表者会議には、〔原告片岡、同吉岡〕同山下、同永田及び同森内ら〔が出席している。〕

革命的共産主義者同盟全国委員会すなわち中核派の機関紙である「前進」によると、その軍事組織である革命軍は、同月二一日未明、日帝・中曽根の国鉄分割・民営化阻止、動労千葉のストライキ闘争への弾圧粉砕の戦いとして、千葉局長草木、同局総務部長今村某及び同局労働課長石井健治方に火炎瓶を投入している。

〔動労千葉執行委員長中野は、〕第三回支部代表者会議の決定を受け、〔同月二五日、各支部長に対し、指令第七号を発し、ストライキ実施の準備体制の確立を指示した。〕同時に、国鉄総裁杉浦喬也及び千葉局長草木に対し、動労千葉申第一一号で、〈1〉同年一〇月九日に提案した「今後の要員体制の考え方について」を直ちに徹回すること、〈2〉運転保安確立に係る問題を団体交渉によって解決すること、〈3〉車両検修業務の合理化計画を中止すること、〈4〉団体交渉を拒否、否定、形がい化する姿勢を改めること、〈5〉雇用安定協約について同年一二月一日以降三年協定で完全締結すること、〈6〉「60・3ダイ改」以降の動力車乗務員の仕業に関する問題点を組合要求に基づいて解決すること、〈7〉「職場規律」を口実とした不当差別・選別を中止し、不当処分を直ちに徹回すること、以上のことをすみやかに団体交渉により解決されたい旨申し入れ、国鉄当局から、口頭で、〈1〉については必要要員は確保してやって行く、徹回しない、〈2〉については総合的に取組を行う、〈3〉については十分安全性について考えて行く、〈4〉については団交は拒否していない、〈5〉については調整策の実効の中で判断する、〈6〉については具体的な主張の中で協議して行く、当局は60・3で問題ないと考えている、〈7〉については徹回できないとの回答を得た。なお、右の〈5〉については、動労千葉執行委員長中野の国鉄総裁杉浦喬也及び千葉局長草木に対する同年一〇月一六日付けの動労千葉申第七号でも同じ内容の申入れがなされ、国鉄当局から、口頭で、派遣制度、休職制度については、従来からこの制度の有効な活用が雇用安定の基盤となるものと機会あるごとに言ってきた。このような観点に立脚し、本年五月一六日休職制度と派遣制度についての協定締結を機会に、なお一層その主旨の徹底を期すべく貴組合において十分に本協定に基づく余剰人員調整策の有効な活用が図られるよう積極的に努力されることを改めて強く申し入れるとともに、これを期待して、同五九年一〇月一一日に職労第三八九号をもって貴組合に通知した解約申入れに伴う手続を取り止めたところである。余剰人員調整策については従来から明らかにしてきた当方の考え方に照らして考えた場合、遺憾ながら貴組合においては、積極的に協力してくれているとは言い難い。今後の取扱いについては、本年一一月三〇日までに判断して行くこととなる、との回答がなされていた。

〔動労千葉は、〕右に判示した・千葉局長草木が管内各職場に警告文書を掲示したり職員宅に警告等の文書を送付したりしたことや、国鉄当局が動労千葉のストライキ対策として国労の指導員、予備乗務員等に対して勤務指定の業務命令を出したことなどをスト破り体制に組んだと判断した。そして、〔同月二七日、第九回執行委員会を開催し、ストライキの実施を繰り上げて同月二八日正午から二四時間のストライキに突入することを決定し、動労千葉執行委員長中野は、同日(同月二八日)、各支部長に対し、指令第八号を発し、〈1〉各支部は同日午後〇時以降千葉以西に乗り入れる全旅客列車の乗務員を対象とする指名ストに突入する、〈2〉各支部は同日一二時から闘争集約時までの間ストライキ対象外の全組合員による非協力・安全確認行動を実施することなどを指示した。〕

右指令により、〔動労千葉は、同日正午から千葉以西の線区を対象とした乗務員の指名ストライキに突入した。〕

動労千葉では、ストライキ等の争議行為時での闘争指導権は、本部から争議行為の拠点支部に派遣された本部執行委員が掌握することになっているところ、〔本件ストライキにおいては、〕本部執行委員長の中野及び本部書記長の布施宇一が本部に残留して本件ストライキの総合的な指揮に当たり、本部執行副委員長の水野及び〔本部執行委員の原告片岡がストライキ拠点の津田沼支部に、〕本部執行副委員長の山口及び本部執行委員の西森巌が同じ千葉運転区支部にそれぞれ〔派遣され、〕本部指令に基づく当該支部の闘争に関する一切の権限を掌握することになった。

同月二七日午後に本部から本件ストライキの繰上げ実施や水野及び原告片岡の派遣について電話連絡を受けた津田沼支部長の原告山下は、直ちに手空きの役員や組合員を動員してストライキ指名者を確定するために翌二八日の交番勤務者等について整理を始めた。原告片岡は、同月二七日夕刻ごろに同支部に行き、翌二八日の交番表と運行表を合わせてストライキ指名者を確定し、勤務を終了して戻ってくる組合員一人一人に対して翌日正午からのストライキについて指示ないしオルグをした。原告片岡より遅れて同支部に赴いた水野は、原告山下らに対し、今からすべて本部の指令・指示どおりに動いてもらう旨のあいさつをし、ここにおいて、同支部の闘争活動は、水野及び原告片岡に掌握されることになった。

同日(同月二八日)午前一一時五五分ごろから同日午後〇時〇四分ごろまで、同支部組合事務所わきの広場で、原告片岡、同山下、同綾部、同田中、同川崎らが参加して本部主催のストライキ突入集会が開かれ、水野らのあいさつ等の後、原告山下が締めくくりの「二四時間スト貫徹がんばろう」のシュプレヒコールの音頭を取っている。水野は、右集会の終わりごろ、国鉄当局に対し、動労千葉を代表してストライキ通告をした。

原告山下は、同日午前五時三〇分から同日午後〇時四六分までA予備勤務であったから、右集会の開始から終了までの間が欠務になったが、短時間であったため勤務に一部就かなかった場合に賃金がカットされる否認にならなかった。

原告重見は、組合員の石井藤雄(四二仕業)及び平野栄吉(四三仕業)が同日午後〇時四五分ごろに津田沼電車区の通称点呼場において当直助役に対してストに入ることを告げるのに付き添い、組合員の斎藤市郎(四四仕業)が同日午後一時〇九分ごろに右点呼場でスト参加を告げるのにも付き添っている。

原告片岡、同山下、同綾部及び同田中は、十数名の組合員とともに、同日午後一時〇七分ごろから、同電車区指導員室において、机を前に座って執務していた同電車区助役江沢某を取り囲み、原告片岡及び同田中がわきに、原告山下及び同綾部が前に立って、原告片岡が中心となって江沢某に対して指導員を乗務させたことについて強い口調で抗議するなどし、同一二分ごろ、来合わせた同電車区長から「業務に支障があるので直ちに外に出なさい。」と言われてもそれに従わず、同一六分ごろに原告片岡がいったん部屋を出ると、原告田中が机に腰を掛けて「なぜ指導を乗せたんだ。」と大声で詰問を続け、同二〇分ごろ、戻ってきた原告片岡が全員外に出るように指示するまで同室にとどまった。

原告山下は、同日午後二時一〇分ごろ、国鉄東京北管理局から助勤に来た者を警護していた千葉局の職員に対し、「権力を持っているからといってでかい顔するんじゃない。」などと暴言を吐いている。

同日午後二時一五分ないし一〇時三六分の五〇仕業への乗務を指定されていた原告髙橋は、同日午後二時一五分ごろ、当直助役に対し、ストに参加する旨を告げた。ちなみに、原告髙橋の欠務時間は、八時間二一分である。

原告綾部は、同日午後二時二二分ごろ、スト参加を告げる組合員の鶴岡昭男(五二仕業)を右点呼場に連れていっている。また、原告重見は、同日午後二時三七分ごろ、国労の組合員花崎薫(五三仕業)及び相馬正利(五八仕業)が千葉動労に加入してストに参加する旨を当局に連絡し、原告片岡は、右花崎薫及び相馬正利がスト参加を告げるのに付き添っている。

同日午後三時一八分ないし一一時〇九分の六一仕業への乗務を指定されていた原告川口及び同日午後三時二二分ないし翌二九日午前一〇時四二分の六二仕業への乗務を指定されていた同椿は、同月二八日午後三時一五分ごろ、原告重見に付き添われて右点呼場に行き、それぞれスト参加をはっきりと告げた。ちなみに、原告川口の欠務時間は七時間五一分であり、原告椿のそれは一四時間五六分である。

原告重見は、その後も五名の組合員がスト参加を告げるのに付き添うなどし、同日午後三時二二分ごろには同電車区助役後藤某に対して組合員?に対して乗務の乗務命令を出したことを問い詰めている。

原告髙橋は、同日午後四時四〇分ごろ、警護班に対し、「お前ら帰れ。」とののしっていた。

同支部の組合員らは同日午後四時三五分ごろから国鉄総武線津田沼駅付近にいた支援団体のデモに合わせて同支部組合事務所わきの広場において集会を開いたが、原告片岡及び同田中は、右集会に参加している。右集会の参加者は、その後移動して保線管理室前の入出区線踏切りを挟んで公安職員と対じし、原告片岡及び同田中が音頭を取って盛んに一一・二八ストを貫徹するぞ、分割・民営化粉砕などのシュプレヒコールを行った。そして、同日午後六時〇八分ごろ、保線管理室前から同支部組合事務所わきまでジグザグデモをし、右集会を終了した。

他方、千葉運転区支部では、原告内山、同山田ら約二〇名の組合員が同日午前一一時二七分ごろ千葉運転区運転管理室内に入っていたので、同運転区長川名某(以下「川名」という。)が業務に支障をきたすので出てくれと通告したが、原告内山は、それは排除か、支部に話してくれなどと言い、原告山田は、何にも支障していない。当局の方がわれわれを挑発しているじゃないかなどと言って抵抗した。原告山田は、その後も、原告後藤や同支部青年部所属の組合員らとともに当局側が同運転区正門の門扉を閉めようとしたことに対しても何だかんだと言って抵抗している。

原告白井は、同日午前七時から同日午後二時一六分までのB予備勤務であったが、同日午前一一時三〇分ごろ、担当助役からの臨一仕業の指示を拒否した。

原告内山及び同櫻澤は、同時刻にB予備勤務の組合員戸田隆雄が臨時仕業に乗務することに拒否するのに付き添った上、原告永田及び原告白井とともに当直助役に対してその理由が本件ストライキに伴うものであることが明らかであるにもかかわらず臨時仕業発生の理由を言えなどとしつように迫っている。

〔原告加藤は、〕同日午前七時の同運転区当直室における点呼では当直助役佐藤某のB予備勤務の就労及び乗務意思の確認に対してある旨答えながら、同日午前一一時三九分ごろ〔同助役から臨一仕業の乗務の指示を受け〕るや、理由を言えば乗務するなどと返事し、ダイヤが混乱して臨時仕業が発生したためであると理由が告げられると、それでは乗れないと〔乗務を拒否した。〕原告加藤の欠務時間は、同日午前一一時三九分から同日午後二時一六分までの二時間三七分である。

山口は、同日午後〇時〇一分ごろ、原告永田、同白井及び同内山とともに、千葉局房総運輸長で本件ストライキに対する当局側の対策本部長であった須永某、国鉄運転部総務課長で右対策副本部長であった菅井某及び同運転区長川名に対し、「動労千葉の本部を代表して、千葉運転区支部の責任者として、わが方の要求について当局は、一切聞く気がないということで、予定どおり今日午後〇時から千葉以西の全列車ストに入る」旨の通告をした。

原告永田は、同日午後二時一五分ごろに組合員の宇佐美悦男(一〇三仕業)が、同日午後二時一八分ごろに同じ天津康造がそれぞれスト参加を告げるのに付き添っている。なお、右川名らから、原告永田、同櫻澤らは右運転管理室を、原告山田は千葉運転区庁舎の休養室や右運転管理室や右庁舎玄関をそれぞれ業務支障を理由に退去するよう通告を受けながらそれに抵抗して退去しなかった。右庁舎玄関からの退去通告を受けたものの一人に原告後藤がいる。

〔原告梅沢は、〕本件ストライキに参加して〔同日午後二時二〇分から翌二九日午前一〇時四九分までの勤務への就労を拒否し〕(欠務時間・一六時間三三分)、〔原告後藤も、〕本件ストライキに参加して〔同月二八日午後五時一一分から翌二九日午前一〇時五六分までの勤務への就労を拒否した〕(欠務時間・一三時間一三分)。

同日午後四時三三分ごろから中核派や動労千葉支援共闘などの支援団体が右正門付近にデモをかけ、「動労千葉頑張れ」「動労千葉とともに闘うぞ」などとシュプレーヒコールを行い、また「二四時間ストライキに決起した動労千葉の組合員に対して敬意を表する」などと演説するのに対し、動労千葉の組合員約五〇名が拍手で迎えるともに支援団体と一緒になってシュプレーヒコールを行い、さらに原告山田ほか二名が右組合員の音頭を取って「動労千葉の組合員は闘うぞ」などとエールを交換した。右組合員の中には原告後藤の顔も見られた。

同日午後五時三〇分ごろから右正門から同庁舎玄関寄りの広場で開かれたストライキ決起集会では原告吉岡が司会をし、山口のあいさつで始まったが、続いてあいさつに立った原告永田は、「われわれ千葉運転区支部の支持を受けて動労千葉はより強い団結で闘う」趣旨のことを、原告永田に続いてあいさつに立った原告吉岡は、「今日の闘いを最後まで貫徹する」趣旨のことをそれぞれ述べ、原告山田は、団結頑張ろうのシュプレヒコールを……「二四時間ストを貫徹するぞ」「ストライキを貫徹するぞ」「分割・民営化反対」「一〇万人首切り粉砕」などをスローガンとして行った。右集会には原告森内も動員した成田支部の組合員とともに参加している。右集会は一〇分ほどで終わったが、集会終了後、「ワッショイワッショイ」の掛け声で青年部が四列スクラムを組み、右正門を出て行ったが、その音頭を原告山田が取っている。

その後も同日午後七時一八分ごろまで支援団体のデモが右正門に向けて波状的に続いた。

右須永某、川名らは、同日午後九時五〇分ごろから再三にわたって、右運転管理室等同庁舎内にいる原告永田、同山田、同櫻澤ら勤務に関係のない組合員に対し、業務に対する支障を理由とする同庁舎内からの退去通告をしたが、右組合員らは口汚く言い返すなどして退去に応じなかったので、同日午後一〇時五九分ごろ、同日午後一一時〇五分までに退去しないときは公安官を導入する旨の最終通告をし、同日午後一一時二四分ごろになってようやく退去させることができた。もっとも、翌二九日午前六時三〇分からの仕業のある原告内山は、乗務員詰所に残った。出勤C予備の原告永田及び出勤D予備の原告白井も同所に残っていた。

同月二八日のストライキによって千葉局を中心としてそれと直接に関連する鉄道管理局管内における同日終電までの列車の運行について生じた影響を見てみると、次のとおりである。

旅客列車の運休

総武快速線(特急を含む。) 七一本

緩行線 七二本

本線(特急のみ) 二本

内房線(特急を含む。) 一一本

外房線(特急を含む。) 九本

成田線 六本

合計一七一本

(総武快速線と千葉以東の線区との相互直通列車は、重複計上である。以下同じ。)

列車の遅延

旅客列車

総武快速線 六一本・計三三三分

最大遅延時分三三分

緩行線 一〇八本・計七三四分

最大遅延時分二五分

本線 一一本・計三二分

最大遅延時分九分

内房線 八本・計四八分

最大遅延時分一五分

外房線 五本・計四九分

最大遅延時分二〇分

成田線 一九本・計一一一分

最大遅延時分二〇分

鹿島線 四本・計七分

最大遅延時分三分

東金線 二本・計二二分

最大遅延時分二〇分

久留里線 一本・三分

合計一三三九分

貨物列車 二本・七分

最大遅延時分四分

翌二九日の新聞各紙朝刊の報道によると、同月二八日のストライキだけで七一万人の乗客の足が乱れたとのことであるが、千葉局は、動労千葉が同日午後〇時に繰り上げて本件ストライキを実施する旨の情報を同月二七日中に得て、千葉駅コンコース等にそのことの掲示を出し、乗客の協力を求めていたため、乗客が自衛手段を取り、千葉局管内の列車の利用については混乱というほどのものは見られなかった。

いわゆる過激派が同月二九日未明に首都圏及び大阪を中心に全国の国鉄各線の通信ケーブル等をほぼ同時に切断し、さらに総武線浅草橋駅に乱入して窓口を破壊し駅舎に放火してこれを焼損する等計三十数件のゲリラ事件をじゃっ起した(同日に同時多発ゲリラ活動があったことについては、当事者間に争いがない。)ため、同日運行予定の国電等が全面的にストップしてしまった。

しかし、〔動労千葉は、〕右ゲリラ事件の発生にもかかわらず〔本件ストライキを〕打ち抜いて、予定どおり〔同日正午まで続行した。〕

そして、同日午前四時一二分からの津田沼電車区の点呼場である当直室では、A予備勤務者一名を含め四名の組合員がストライキ参加を表明して乗務を拒み、七名の組合員が当直室に点呼を受けに来なかった。出勤B予備であった原告山下は、同日午前八時二五分ごろ、右当直室に来たが、同電車区助役久保某の「あなたは業務に就きますか。」との質問に対し、「おれは予備であり、現在は電車が止まっており、電車が動き出して乗務してくれと言われたときに意思表示すればいいんだ。」旨答え、同助役の「現時点で意思表示してもらわなければ予定が立たない。」旨の説得にも何回か同じようなやりとりをしてそのまま出て行き、その後も再三右当直室に出入りして同電車区助役斉藤某と同じようなやりとりをした。また、同日午前一一時一七分ごろ原告片岡が右当直室に入ってきて、出勤C予備の組合員二名の就労意思の確認方法について同電車区長浜田某と問答をしている。

原告片岡及び同山下、同綾部、同髙橋ら津田沼支部組合員は、同日午前一一時五二分ごろ同電車区乗務員詰所において集会を開た後、本件ストライキを集約し、原告髙橋が同日午後〇時〇三分ごろ右当直室において組合員らに対して仕業を読み上げて復帰点呼を行った。

千葉運転区においても、同日午前三時三六分から始まった点呼においてストライキ参加を表明する者がおり、同日午前五時二二分の出勤A予備の組合員関一夫の体調不良を理由とする就労意思不確認には原告内山及び同櫻澤が付き添った。

〔原告内山は、〕同日午前六時四三分ごろ、同運転区の点呼場である当直室において、ストライキ参加を理由に〔六仕業への就労を拒否した。〕

動労千葉の組合員は、同日午前八時過ぎごろ同運転区正門付近で当局の制止にもかかわらず同運転区構内への入構を強行しようとしたが、右組合員の中に原告加藤及び同後藤がいた。

組合員である平野文雄が同日午前九時二八分ごろの六一仕業の点呼において自分の勤務が六一仕業でなくC予備であると申し立てたことで、多数の組合員等が当直室に集まったが、その中に原告永田、同白井、同梅沢、同櫻澤がいた。

同日午後〇時、ストライキ解除により、原告永田、同白井、同後藤、同櫻澤ら組合員が職場復帰のため当直室に入った。

同日のストライキでは、右ゲリラ事件とあいまって千葉局を中心としてそれと直接に関連する鉄道管理局管内における始発から運転再開までの列車の運行について生じた影響は、次のとおりである。

列車の運休

旅客列車

総武快速線(特急を含む。) 二〇八本

緩行線 三三一本

本線(特急を含む。) 一八本

内房線(特急を含む。) 三六本

外房線(特急を含む。) 二七本

成田線(特急及びローカルを含む。) 七二本

合計六九二本

貨物列車

総武快速線 二八本

本線 四本

内房線 四本

外房線 一八本

成田線 四本

鹿島線 四本

東金線 二本

合計六〇本

列車の遅延

旅客列車

総武快速線 一八本・計三八分

最大遅延時分一〇分

緩行線 三一本・計一五四分

最大遅延時分一三分

内房線 六本・計五二分

最大遅延時分二八分

外房線 三本・計二二分

最大遅延時分九分

成田線 四本・計五二分

最大遅延時分二四分

合計三一八分

貨物列車 四本・一三九八分

最大遅延時分五三二分

そして、同日の新聞各紙夕刊の報道によると、警視庁など警察当局は右同時多発ゲリラ事件を本件ストライキを支援する中核派の犯行と断定したとのことであり、同日の国電等の運行がまひ状態になったことによって私鉄、地下鉄等鉄道輸送ばかりでなく道路交通も大混乱、大混雑になり、一二〇〇万人の乗客の通勤・通学等が影響を被ったとのことである。

ちなみに、国鉄分割・民営化阻止、十万人首切り紛砕と傍書した「国鉄ストライキ支援共闘会議」なるグループは、同日、本件ストライキの第一日目の成果を誇示した上、「24時間ストライキ 最後までぶちぬけ」とのビラを配布していた。なお、同月三〇日の「日刊動労千葉」は、「第一波24時間ストを貫徹=勝利したぞ」の大見出しで本件ストライキの勝利宣言をしている。しかし、本件ストライキに対する世論の反発、批判、非難は厳しく、そのことは、例えば同月二九日の読売新聞が社説で「迷惑至極の千葉動労のスト」を取り上げ、同月三〇日の日本経済新聞が社説「国電止めた過激派を徹底追及せよ」の中で「このような事件を誘導した千葉動労の二十四時間ストも厳しく批判したい。」と、東京新聞が「言語道断の国鉄ゲリラ事件」の中で「これを誘発した千葉動労の違反ストは、全く言語道断だ。」とそれぞれ言及し、サンケイ新聞が主張「労組は過激派に毅然たれ」で「千葉動労が労働組合として社会的に承認される存在かどうか、疑わしい。」とまで論断していることからもうかがうことができる。

右角括弧外の事実を認めることができ、(証拠・人証略)はいずれも採用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)動労千葉及び原告らの公労法一七条違反について

(1)以上の事実によれば、動労千葉は、公労法一七条一項の禁止に違反し、公共企業体である国鉄に対して同盟罷業すなわちストライキをしたものであるといわなければならない。

(2)そして、以上の事実、なかんずく動労千葉が本件ストライキ当時一〇〇〇名余の小規模な地方労働組合であり、本件ストライキがその最高決議機関である第一〇回定期大会において満場一致で決定された・昭和六〇年一一月下旬に設定されたところの第一波闘争中のストライキを具体化したものに過ぎないことにかんがみると、右大会に役員(本部特別執行委員を含む。)又は代議員として出席して右ストライキの設定に賛成した原告片岡、同吉岡、同篠塚、同山下、同重見、同綾部、同永田、同白井、同内山、同川口、同川崎、同山田、同櫻澤及び同森内は、本件ストライキの実施について相互に意思を相通じたものであると推認すべきであるから、同条項の禁止に違反し、本件ストライキを共謀したものであるといわなければならない。

また、以上の事実によれば、原告田中は、組合員を本件ストライキに向け、これを実行する決意を生じさせ、又は既に生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えたものというべきであるから、同条項の禁止に違反し、本件ストライキをあおりないしそそのかしたといわなければならない。

さらに、以上の事実によれば、原告椿、同髙橋、同加藤、同梅沢及び同後藤は、いずれも本件ストライキにおいて集団で所定の乗務を拒否したため、列車を運休ないし遅延させたというべきであるから、同条項の禁止に違反し、自ら国鉄の業務の正常な運営を阻害する行為をしたものであるといわなければならない。

2  国鉄の原告らに対する公労法一八条による解雇の通知について

国鉄が原告らに対して昭和六一年二月六日付けで公労法一八条により解雇する旨の通知をしたことについては、当事者間に争いがない。

三  国鉄の原告らに対する公労法一八条による解雇の効力の有無について

1  公労法一七条、一八条の違憲性の有無について

原告らは、争議行為を一律全面的に禁止する公労法一七条及びこれを受けた同法一八条は憲法二八条に違反して無効である旨主張する。

しかしながら、公共企業体等の職員について争議行為を禁止した公労法一七条一項の規定が憲法二八条に違反するものでないことは確立した判例であり(最高裁判所昭和四四年(あ)第二五七一号同五二年五月四日大法廷判決・刑集三一巻三号一八二頁など)、公労法一七条一項の禁止を実効あるものとするために違反行為をした職員の解雇を定める同法一八条も、その法意を、解雇するかどうか、その他どのような措置をするかは、職員のした違反行為の態様・程度に応じ、公共企業体等の合理的な裁量に委ねる趣旨であると解する限りは、憲法二八条に違反するものではないというべきである(最高裁判所同三八年(オ)第一〇九八号同四三年一二月二四日第三小法廷判決・民集二二巻一三号三〇五〇頁参照)。

したがって、原告らの右公労法一七、一八条の違憲性の主張は理由がない。

2  本件争議行為に対する公労法一七条の適用除外の当否について

原告らは、本件争議行為に対しては公労法一七条の適用が排除されるべきである旨主張する。

職員ないし組合の行為が一見すると公共企業体等の業務の正常な運営を阻害するかのような場合であっても、その行為が行われた事情の下ではその行為をもって直ちに同条に違反すると断ずることが酷に失する場合のあることを否定することはできないが、前項において判示した事情の下では、動労千葉及び原告らの行為が同条一項の規定する禁止行為にまともに違反するものであると判断することにちゅうちょを覚えるようなものは何もなく、その行為をもって同条項に違反すると断ずることが酷に失する場合に当たるということがでないことは明らかである。また、同条項による争議権の禁止に代わる相応の措置としては、身分保障、給与の保障、公共企業体等労働委員会の設置等が講じられているのであって、雇用安定協約の締結という具体的な労使間の問題の解決について公共企業体等との合意が得られないことを代償措置の機能不全であるということはできない。さらに、国鉄の分割・民営化粉砕をスローガンの一つし(ママ)て本件ストライキを行った原告らが、争議権の制約のない「民間会社への移行過程にある国鉄」については同法の適用基盤がもはや崩壊していたとか、本件争議行為当時の国鉄を巡る情勢下では同条の適用の除外が予定ないし予測されるという事実がその具体的適用の消極的要素になるとか主張することは、論理矛盾であるというべきであるが、その点を措くとしても、本件ストライキ時点ではいまだ国会において国鉄改革ないしその関連法案の審理すらなされていなかった(このことは、弁論の全趣旨によって認めることができる。)のであるから、公労法一七条一項の適用基盤が崩壊しているとか、同条の適用の除外が確定的に予定ないし予測されるとかはいえない道理である。

こうして、原告らの本件争議行為に対する同条の適用除外の主張は、理由がないといわなければならない。

3  本件争議行為に対する公労法一八条適用の違憲・無効の当否について

原告らは、代償措置が講じられていること及び公労法一七条一項違反に対する効果が最小限であることの条件が満たされない同法一八条による処分はその限りにおいて違憲、無効である旨主張するが、同法一八条の法意が、解雇するかどうか、その他どのような措置をするかは、職員のした違反行為の態様・程度に応じ、国鉄の合理的な裁量に委ねる趣旨であると解すべきこと、動労千葉及び原告らの行為が同法一七条一項の規定する禁止行為にまともに違反するものであること、雇用安定協約の締結について合意が得られないことを代償措置の機能不全ということができないことは右に判示したとおりであり、本件ストライキ実施の前段階において国鉄が団体交渉事項である限り団体交渉に応じたことは前項において判示したとおりであるから、原告らの右本件争議行為に対する公労法一八条適用の違憲・無効の主張は、失当であるといわなければならない。

4  解雇権の濫用の有無について

(一)原告片岡、同吉岡、同篠塚、同山下、同重見、同綾部、同永田、同白井、同内山、同髙橋、同田中、同山田及同櫻澤について

(1)原告片岡、同吉岡、同篠塚、同山下、同重見、同綾部、同永田、同白井、同内山、同髙橋、同田中、同山田及同櫻澤は、国鉄の民営化が「不可避」(ただし、被告の主張の趣旨による。)であった本件争議行為及び処分当時の情勢において、いずれ合法となる行為について従来の例をはるかに逸脱して異常な解雇基準をあえて創設し、その適用を強行したことには一片の正当性も合理性も認められないから、国鉄の右原告らに対する各解雇処分はいずれも裁量権を濫用したものであって無効である旨主張する。

(2)しかし、右に判示した公労法一八条の法意に則るときは、同条による解雇が妥当性・合理性を欠き、国鉄総裁に認められた合理的な裁量権の範囲を著しく逸脱したものでない限り、その効力を否定することはできないというべきである。

そして、前項で確定した事実によれば、動労千葉が本件ストライキの設定を決定したのは、危機的状況にあった国鉄の経営のより抜本的な再建策を検討することを目的として法律(日本国有鉄道の経営する事業の再建の推進に関する臨時措置法)に基づいて設置された再建監理委員会が二年余にわたり審議を重ねて最終答申を提出し、国鉄は当然のこと政府等も右答申を尊重して国鉄の抜本的再建に乗り出そうとした時期であり、動労千葉は、そのような国鉄が置かれている状況を全くわきまえないどころか、かえって最終答申を国鉄労働運動を解体するものであるなどとして反発し、最終答申が苦心の末に打ち出した国鉄分割・民営化の粉砕をメインスローガンの一つにして本件ストライキを設定し、実施したのである。しかも、右の「国鉄分割民営化阻止」やそれに付随する「一〇万人首切り合理化粉砕」「国鉄労働運動解体攻撃粉砕」などは団体交渉事項にすらなり得ないものであり、また、「61・3」「61・11」ダイ改阻止・基地統廃合反対、運転保安確立」などは、職員の労働条件に関連するといえなくもないが、国鉄の管理及び運営に関する事項(公労法八条ただし書参照)である可能性が高いものであり、したがって、本件ストライキの目的の一つが「雇用安定協約完全締結」であったとしても、本件ストライキは、そのような意味で政治的色彩が鮮明なものであるといわなければならないのである。その上、本件ストライキは、地方部局であるとはいえ公共性の極度に強い国鉄の千葉局管内の主要部分で大規模に、しかも国鉄当局の再三の警告を無視して行われたものであるばかりでなく、その実施を不当にも半日繰り上げ、加えて一部過激派の同時多発ゲリラによって自己の職場である国鉄施設が破壊され市民の足が大混乱に陥っているのを知りながら、無謀にも二四時間を打ち抜き、それによって千葉局及びそれと直接に関連する国鉄鉄道管理局の業務の正常な運営を著しく阻害したものであるから、違法性の極めて高いものである。

したがって、動労千葉本部及びストライキ拠点支部における原告片岡、同吉岡、同篠塚、同山下、同重見、同綾部、同永田、同白井及び同内山の各地位と本件ストライキに関して果たした役割を考慮すると(原告片岡の津田沼支部での本部派遣執行委員としての役割が水野の補佐であったことや、原告山下、同重見、同綾部、同永田、同白井及び同内山の支部での権限が本件ストライキ時には停止され、支部での指導権が本部派遣執行委員に掌握されていたことは、前項に判示した原告片岡、同山下、同重見、同綾部、同永田、同白井及び同内山の実際の国鉄当局に対する応対ないし(支部)組合員に対する指導の際の言動にかんがみると、動労千葉本部及びストライキ拠点支部における原告片岡、同山下、同重見、同綾部、同永田、同白井及び同内山の地位を考慮するに当たって、障害になるものではない。)、本件ストライキに関する右原告らの責任は重大であるといわなければならない。

それと合わせて、(証拠略)並びに弁論の全趣旨を総合すると、〈1〉原告片岡は、過去に戒告三回、減給二回、六か月の停職一回の各処分を受け、昭和五六年六月一二日に発生した動労本部とのトラブルに際して暴力行為を犯したとして起訴されて休職処分を受けている(右起訴に係る刑事事件は、同六一年二月二五日最高裁判所で有罪判決が確定した。)。〈2〉原告吉岡は、右の動労本部とのトラブルに際して暴力行為を犯したとして起訴されて休職処分を受けている(右起訴に係る刑事事件は、同じく有罪判決が確定した。)。〈3〉原告篠塚も、右の動労本部とのトラブルに際して暴力行為を犯したとして起訴されて休職処分を受けている(右起訴に係る刑事事件は、同じく有罪判決が確定した。)。〈4〉原告山下は、同四八年一月、同四九年三月、同五〇年九月、同五一年一〇月、同五四年二月及び同五六年六月にいずれも戒告処分を、同五七年三月に六か月一〇分の一の減給処分をそれぞれ受けている。〈5〉原告重見は、同四八年一月、同五四年二月及び同五六年六月にいずれも戒告処分を、同五七年三月に六か月一〇分の一の減給処分をそれぞれ受けている。〈6〉原告綾部は、同五七年三月に四か月一〇分の一の減給処分を受けている。〈7〉原告永田は、同四四年一二月に戒告処分を、同四五年二月に一か月一〇分の一の、同月に一か月三〇分の一の、同五〇年九月に一か月一〇分の一の、同五一年一〇月に一か月三〇分の一の、同五二年一一月に一か月一〇分の一の、同五三年三月に一か月三〇分の一の、同五四年二月に一か月一〇分の一の、同五五年六月に一か月三〇分の一の各減給処分を、同五六年一〇月に六か月の停職処分をそれぞれ受けている。〈8〉原告白井は、同五七年に三か月一〇分の一の減給処分を受けている。また、〈9〉原告内山は、同五七年三月に三か月一〇分の一減給処分を受けていることを認めることができるのであって、右原告らが更に前項で判示したような行為を繰り返したことは、国鉄職員としての自覚と責任の欠如を示すものであるとみられてもやむを得ないというべきである。

また、原告髙橋は、前項に判示したとおり本件ストライキ当時の動労千葉における地位も津田沼支部執行委員に過ぎず、(証拠略)によれば、原告髙橋は、本件ストライキ終了後勤務時間前から列車運行の早期回復のために積極的に保安列車の運行ダイヤの策定等に協力したことを認めることができるが、前項に判示したとおり、原告髙橋は、五〇仕業への乗務を拒否し、更に警護班に対して「お前ら帰れ。」とののしっていたばかりでなく、(証拠略)によれば、原告髙橋は、同四九年三月及び同五〇年九月にいずれも戒告処分を、同五一年一〇月に一か月一〇分の一の、同五四年二月に四か月一〇分の一の、同五六年六月に六か月一〇分の一の各減給処分を、同五七年一月に二か月の停職処分をそれぞれ受けていることを認めることができるのである。

原告田中は、前項で判示したとおり、本件ストライキ当時の動労千葉における地位こそ津田沼支部執行委員に過ぎなかったが、同六〇年八月三一日と翌九月一日の本部青年部の第八回定期大会までは同部長をしており、右大会において「デマとペテンでぬり固められ、労働者人民にすべて犠牲をしいる『7・26監理委答申』を徹底弾劾し、『分割・民営化』=十五万人首切り攻撃は、頭を低くして通りすぎることなど絶対にできない。行きつく先は戦争だ。大ストライキを準備し、また、それと結合し、いよいよ本格的攻防に突入した三里塚に勝利し、中曽根を打倒しよう」とあいさつして動労千葉第一〇回定期大会における本件ストライキ設定の決定に先鞭をつけ、本件ストライキ実施時においても、原告片岡らとともに机を前に座って執務していた津田沼電車区助役江沢某を取り囲み、その机に腰を掛けて「なぜ指導を乗せたんだ。」と大声で詰問を続けたり、同支部の組合員らが同電車区保線管理室前の入出区線踏切りを狭んで公安職員と対じしているときに一一・二八ストを貫徹するぞ、分割・民営化粉砕などのシュプレヒコールの音頭を取ったりしているばかりでなく、(証拠略)によれば、原告田中は、同五六年六月に三か月一〇分の一の減給処分を、同五七年一月に二か月の停職処分をそれぞれ受けていることを認めることができるのである。

原告山田は、処分歴は不明であるが、前項で判示したとおり、本件ストライキの前後を通して本部青年部長であり、第一〇回定期大会において本件ストライキの設定・実施を共謀したばかりでなく、全国鉄労働者総決起集会では「青年部は最先頭でストライキ貫徹へ闘いぬく。」などと決意表明をし、本件ストライキに入る直前ごろから他の組合員らとともに千葉運転区運転管理室など同運転区庁舎内に入り込んで国鉄当局側の再三の退去通告に抵抗して退去しなかったり、中核派や動労千葉支援共闘などの支援団体と組合員約五〇名が「動労千葉の組合員は闘うぞ」などとエールを交換した際の音頭を取ったり、ストライキ決起集会でも団結頑張ろうのシュプレヒコールを……「二四時間ストを貫徹するぞ」「ストライキを貫徹するぞ」「分割・民営化反対」「一〇万人首切り粉砕」などをスローガンとして行ったり、右集会終了後、「ワッショイワッショイ」の掛け声で青年部が四列スクラムを組み、右庁舎正門を出て行く際の音頭を取るなどして本件ストライキをそそのかしないしはあおっているのである。

さらに、原告櫻澤は、(証拠略)によれば、本件ストライキ当時は千葉運転区支部に所属する一般組合員に過ぎなかったとはいえ、第一〇回定期大会までは本部特別執行委員をしていたことを認めることができ、前項で判示したとおり、右大会にも出席して本件ストライキの設定・実施を共謀した上、本件ストライキの際にも組合員が臨時仕業に乗務することを拒否するのに付き添い、当直助役に対して臨時仕業発生の理由を言えなどとしつように迫ったり、同運転区長川名らから同運転区の運転管理室や庁舎内を業務支障を理由に退去するように通告を受けながらそれに抵抗して退去しなかったりしたほか、(証拠略)によれば、同四四年九月に戒告処分を、同四五年二月に一か月一〇分の一の減給処分を、同五〇年九月、同五一年一〇月、同五二年一一月、同五四年二月及び同五六年六月にいずれも戒告処分を、同五七年三月に六か月一〇分の一の減給処分をそれぞれ受けたことを認めることができるのである。

(3)そうすると、国鉄総裁の原告片岡、同吉岡、同篠塚、同山下、同重見、同綾部、同永田、同白井、同内山、同髙橋、同田中、同山田及び同櫻澤に対する公労法一八条による解雇処分が、本件ストライキの違法性の程度や右原告らの本件ストライキにおいて果たした役割等本件ストライキに関する行為を中心にして、過去における処分歴等をも考慮の対象としてそれらとの対比において見るときは、著しく均衡を失し、社会通念に照らして合理性を欠くとはいい難いから、国鉄総裁に認められている裁量の範囲内においてなされたものというべく、したがって、右原告らの右解雇権濫用の主張は、失当であるといわなければならない。

(二)原告川口、同椿、同川崎、同加藤、同梅沢、同後藤及び同森内について

(1)それに対し、その余の原告らすなわち原告川口、同椿、同川崎、同加藤、同梅沢、同後藤及び同森内に対する解雇処分は、解雇権を濫用したものであるというべきである。

(2)本件ストライキの違法性の程度については、本項(一)(2)に判示したとおりであって、極めて高いものであるといわざるを得ないが、しかし、前項で確定した事実によれば、その責任の大部分は、他の打開策を一顧だにせず、多分に時代錯誤的な発想をもってただひたすら本件ストライキの設定、実施を指導した動労千葉の幹部ないし実質的意味において―ということは、動労千葉における地位にかかわらずということである―それに準ずる組合員が負うべきであって、最終答申がそのまま法律化され実施されることになれば、たとえそれが国鉄再建へのひっすの方策であったとしても、国鉄職員のほぼ三人に一人が何らかの形で職場を去らなければならなくなり、特に余剰人員調整策への協力の程度を理由に雇用安定協約の締結を当局から拒まれる可能性が高いといった事態に直面していた動労千葉に所属する組合員としては、近い将来において職場を失う等、生活基盤が根本から覆されるというおそれを抱いたとしても無理からぬものがあったというべく、職場を去ることになるかもしれないという事態は、労働者にとってはいわゆる賃金闘争以上に差し迫った問題であるから、本件ストライキに高度の違法性があるといっても、いわゆるスト権スト(国労、動労等で構成されている公共企業体等労働組合協議会が同五〇年秋に八日間連続のスト権回復を目ざすストライキを行ったことは、公知の事実である。)などとはその意味合いが大きく異なるのであって、そうだとすれば、本件ストライキの設定・実施の指導にかかわらなかったか、若干の部分にかかわったとしてもその根幹的な部分にかかわったとはいえず、どちらかといえば右の幹部ないしそれに準ずる組合員の指導に従い危機感を募らせて本件ストライキに参加した組合員にまで右の幹部ないしそれに準ずる組合員と同様の責任を負わせることは酷に過ぎ、右の幹部ないしそれに準ずる組合員の指導のままにないし指導を重んじて本件ストライキに参加した組合員に対する公労法一八条による解雇は、妥当性、合理性を欠き、国鉄総裁に認められた合理的な裁量権の範囲を著しく逸脱したものとして無効であるというべきである。

この観点に立って、次に原告川口、同椿、同川崎、同加藤、同梅沢、同後藤及び同森内の本件ストライキへの関与の態様等を検討すると、次のとおりである。

原告川口は、前項で判示したとおり本件ストライキ当時津田沼支部執行委員であった(同支部執行委員であることから推認される、同支部執行委員として一般になすべき業務を行ったことを含む。以下の原告らについても、それぞれの地位に応じて同じである。)ばかりでなく、本件ストライキの設定・実施を共謀し、全国鉄労働者総決起集会に参加し、昭和六〇年一一月二八日の六〇仕業の就労を拒否しているのであるから、本件ストライキについては相応の責任を負わなければならないことはいうまでもないが、前項で判示したとおり右の就労拒否の当局への通告には原告重見が付き添っており、加えて、(証拠略)の結果によれば、原告川口は、同月二九日は出勤D予備であったにもかかわらず、ゲリラ事件からの列車復旧のために、他の乗務員が嫌がる保安列車に乗務して運行再開に積極的に協力しており、本件処分以前に受けた処分はストライキ参加による戒告が一回だけであるのに対して四回の一〇万キロ無事故証(ママ)、同四四年七月に異常信号の発見で千葉局総武運輸長賞、同五一年八月にドアの取扱いミスの注意で津田沼電車区長褒賞等を受けていることを認めることができるのである。

原告椿も、前項で判示したとおり本件ストライキ当時同支部執行委員であったが、証拠等から本件ストライキとの関係で確定するができる事実としては、全国鉄労働者総決起集会に参加し、同月二八日から翌二九日にかけての六二仕業(泊り仕業)の就労を拒否したのみであり、前項で判示したとおり右の就労拒否の当局への通告には原告重見が付き添っているのであって、一般組合員の単純参加と選ぶところがない。そして、(証拠略)及び原告本人尋問の結果によれば、原告椿は、本件処分以前に過去に一回も処分を受けたことがないことを認めることができる。

原告川崎については問題がないではない。すなわち、前項において判示したとおり、原告川崎は、本件ストライキ当時同支部青年部長をしており、第一〇回定期大会において代議員として出席して「一〇万人首切り粉砕闘争として徹底的に闘おう」との意見を出して積極的に本件ストライキの設定・実施を共謀し、全国鉄労働者総決起集会において「十一月二九日のストライキを絶対に守りぬくという立場から最先頭で闘う。」などと決意表明をし、本件ストライキ実施の際は同月二八日午前一一時五五分ごろから同日午後〇時〇四分ごろまでの同支部組合事務所わきの広場で開かれた本部主催のストライキ突入集会に参加しているのである。しかし、(証拠略)及び原告川崎本人尋問の結果によれば、原告川崎の右各発言は、周りから押し出されてやらざるを得なかった様子をうかがえなくもなく、また、原告川崎は、津田沼電車区(当時)の検修係の職員であって本件ストライキの対象とはなっていなかったし、同月二八日は公休で、翌二九日は平常どおり日勤職務についていることを認めることができるから、原告川崎は、本件ストライキの設定ないし実施を指導したとまではいい難いというべく、さらに、(証拠略)及び原告川崎本人尋問の結果によれば、原告川崎には過去に一度の処分歴もないことを認めることができるのである。

原告加藤は、前項で判示したとおり本件ストライキ当時千葉運転区支部執行委員であり、本件ストライキにおいては同月二八日午前七時の同運転区当直室における点呼では当直助役のB予備勤務の就労及び乗務意思の確認に対してある旨答えながら、同日午前一一時三九分ごろ同助役から臨一仕業の乗務の指示を受けるや、理由をいえば乗務するなどと返事し、ダイヤが混乱して臨時仕業が発生したためであると理由が告げられると、それでは乗れないと乗務を拒否しており、また、動労千葉の組合員らに加わって同月二九日午前八時過ぎごろ千葉運転区正門付近で当局の制止にもかかわらず同運転区構内への入構を強行しようとし、さらに(証拠略)によれば、昭和四八年一月に戒告処分を、昭和五七年三月に三か月一〇分の一の減給処分をそれぞれ受けたことを認めることができるのであって、動労千葉の組合員としては中核的な存在であるということができるが、本件ストライキにおいて指導的な役割を演じたというまではいうことはできないのである。

原告梅沢は、前項で判示したとおり本件ストライキ当時同支部執行委員であり、本件ストライキに参加して同六〇年一一月二八日午後二時二〇分から翌二九日午前一〇時四九分までの勤務への就労を拒否し、組合員である平野文雄が同月二九日午前九時二八分ごろの六一仕業の点呼において自分の勤務が六一仕業でなくC予備であると申し立てたことで千葉電車区当直室に集まった多数の組合員等の中にいたが、それ以上に本件ストライキを指導したような言動はなく、(証拠略)及び原告梅沢本人尋問の結果によれば、原告梅沢の処分歴は、同五六年一〇月に戒告処分を受けたのみであることを認めることができるのである。

原告後藤も、前項で判示したとおり本件ストライキ当時同支部執行委員であり、本件ストライキに参加して同六〇年一一月二八日午後五時一一分から翌二九日午前一〇時五六分までの勤務への就労を拒否し、同月二八日に当局側が同運転区正門の門扉を閉めようとしたことに対して抵抗した同支部青年部所属の組合員らの中や同運転区長川名らから同運転区庁舎玄関からの退去通告を受けた者の中や中核派や動労千葉支援共闘などの支援団体と「動労千葉の組合員は闘うぞ」などとエールを交換した組合員約五〇名の中に、あるいは、同月二九日午前八時過ぎごろに千葉運転区正門付近で当局の制止にもかかわらず同運転区構内への入構を強行しようとした動労千葉の組合員の中にその顔を見いだすことができるが、せいぜいその程度であって本件ストライキを指導するような立場にあったとは到底いえないのであり、(証拠略)及び原告後藤本人尋問の結果によれば、原告後藤には過去に何らの処分歴もないことを認めることができるのである。

原告森内は、前項で判示したとおり、第一〇回定期大会までは本部特別執行委員であって、本件ストライキの設定・実施を共謀しており、(証拠略)及び原告森内本人尋問の結果によれば、同年一〇月一一日に開催された成田支部第九回定期大会で支部長に選出され、就任のあいさつで「私は、労働者として体の続く限り最先頭で闘う決意です。新執行部は、一一月ストを全力で闘います。みんなも執行部についてきてほしい。」と述べており、過去の処分歴も戒告三回、六か月一〇分の一の減給一回があることを認めることができ、前項で判示したとおり、全国鉄動労者総決起集会には成田支部長として動労千葉の他の支部長とともに壇上に並び、第三回支部代表者会議に出席し、本件ストライキ実施の際も、同月二八日夕刻の千葉運転区支部のストライキ決起集会に動員した成田支部の組合員とともに参加しているのであって、本件ストライキにおいてそれなりの指導的な役割を担っていたということができるのであるが、同支部はストライキ拠点支部でなく、したがって本件ストライキに関してはその影響力は間接的にしか及ばず、微弱なものであったというべきであるから、原告森内の右の程度の行為に対するのに退職手当が支給されず(国家公務員等退職手当法八条一項三号、国家公務員法九八条三項参照)、退職年金等の支給も全部又は一部制限されることがあり得る(公共企業体職員等共済組合法二〇条参照)公労法一八条による解雇をもってすることは、やはり国鉄総裁に認められた合理的な裁量権の範囲を著しく逸脱したものといわざるを得ない。

第二賃金請求について

一  原告川口らの賃金額等について

原告川口、同椿、同川崎、同加藤、同梅沢、同後藤及び同森内の各号俸並びに昭和六一年二月当時及びそれ以降に受領すべき基準内賃金(請求賃金額)が別表二(略)の「番号」欄各号の「原告」欄の当該各号に掲げる原告の「号俸」欄及び「請求賃金額」欄の当該各号に掲げる号俸及び賃金額であること、国鉄の賃金の支払日が毎月二〇日であること、国鉄が同月以降原告らに対して賃金を支払わなかったことについては、当事者間に争いがない。

二  将来の給付の訴えについて

なお、右原告らは、被告に対し、昭和六一年二月以降毎月二〇日に別表二の「番号」欄各号の「原告」欄の当該各号に掲げる原告の「請求賃金額」欄に掲げる賃金の支払を請求しているところ、それは本件口頭弁論が終結した平成三年一一月一一日に直近する賃金の支払日である同年一〇月二〇日の翌日である同月二一日から以後の賃金の支払をも包含しているものと解されるが、その部分は将来の給付を求める訴えであるから、予めその請求をする必要があることについて主張・立証を要するところ、右原告らはその点について何らの主張・立証もしない。したがって、右原告らの賃金請求のうち平成三年一〇月二一日以後の分は不適法であるといわなければならない。

第三結論

以上のとおりであって、原告らの本訴請求のうち、原告川口、同椿、同川崎、同加藤、同梅沢、同後藤及び同森内が被告との間で雇用契約上の地位にあることの確認を求め、昭和六一年二月分から平成三年一〇月分までの賃金の支払を求める部分は理由があるからこれを認容し、その余の原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、原告川口、同椿、同川崎、同加藤、同梅沢、同後藤及び同森内のその余の請求にかかる訴えはいずれも不適法であるからこれを却下し、右原告らと被告との間にかかる訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、その余の原告と被告との間にかかる訴訟費用の負担について同法八九条をそれぞれ適用し、原告川口、同椿、同川崎、同加藤、同梅沢、同後藤及び同森内の仮執行の宣言の申立てについては、右認容賃金額の三分の一の限度で相当であると認めて同法一九六条を適用し(、その余については相当でないからこれを却下し)、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 並木茂 裁判官 春日通良 裁判官石原寿記は、転補のため署名・押印することができない。裁判長裁判官 並木茂)

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